◇
分かっているが、許せないものは許せない。
木崎を学院に潜入させなければならないほど、調査を進められなかった自分が。
すっかり消沈した光のベッドへ、木崎は困った風な笑みで近付いた。
「そんな顔するな、千影」
「誰ですか、それ」
「光でした。……ったく相変わらず優秀だよ、お前は」
本当に優秀なら、彼の手を煩わせることもなかったのに。
八つ当たりの言葉は喉元で止めることに成功した。
天井を見上げていた視界に白衣が映りこんだのと、ドサッと言う音と共に木崎が光に覆いかぶさったのはほぼ同時だった。
頭の上についた木崎の腕と、ベッドに乗り上げた片方の膝。
間近で目を合わせると、男は悪戯っぽく言った。
「お前の高校生っぷりを見るのも悪くないしな」
「俺が嫌だ」
「こうでもしなきゃ、授業参観できないだろーが」
「頼んでないって」
「お前最近冷たいぞ。反抗期か?」
「なら武先生は更年期ですか?」
「ちゅーするぞ、お前」
うっわ、それ最悪だ。
鬱々とした気分が浮上して笑いかけた光と、楽しそうに目元を和らげる木崎は、ノックもなしに開いた保健室の扉に心臓を凍らせた。
覆いかぶさる男の腕の合間から見えたのは、ブリーチの金髪。
良家の子息ばかりが集まるこの学院で、そんな頭をしている男と言えば思い出せるのは一人くらい。
「に、し……」
何用での訪問かは知らないが、よく知った不良スタイルの生徒は、ベッドにある二つの人影の内一人が、自分の友人であると気付くや呆気にとられた表情を剣呑ものに豹変させた。
「てめぇ、そいつに何やってんだ」
「え?」
「は?」
獰猛な響きを有した低音に、今度は光たちが目を点にする。
身を強張らせたのは、潜入捜査官同士の接触を目撃されたからなのだが。
投げられた質問の意味を理解して、二人してしょっぱい気持ちになった。
そうだ。
忘れていたがここは碌鳴学院、同性同士の恋愛がまかり通っているだけでなく、嫌がらせの手法の一つに強姦が挙げられるほど性的にも危険な世界。
その保健室のベッドで、構図で見たら生徒を押し倒した新任保健医と来れば、仁志の邪推は当然の流れとも言える。
これが光と木崎でなければ、疑ってかかるべきだろう。
しかし、保護者と子供という関係の二人からすれば、不名誉な誤解以外の何ものでもない。
「転任早々、手ぇ出してんじゃねぇぞ、おっさん」
「お、おっさん?私はまだ三十二歳なんですが」
「……堂々と嘘つくなよ」
反論の中でいけしゃあしゃあとのたまう木崎に、小さく突っ込みを入れた。
四十男が八歳もサバを読むとはおこがましい。
疲れた風に嘆息をして、光は木崎を押し退けながらベッドから降りた。
「違うって、仁志。少し眩暈がしたからベッド借りただけ。で、先生は体温計を持って来てくれる途中でコケたんだ」
どれだけ運動神経が悪いんだと思うが、この際仕方ない。
「すいません、不注意でした」
場数を踏んでいるだけあって、保護者はすぐに同調した。
寸前までの素顔を隠し、柔和な印象を与える「武 文也」になる。
上手い具合に白衣のポケットに入れていたらしい体温計を、手の中に現せた。
「長谷川くん、でしたか。一応検温だけしますか?」
「いえ、眩暈は一時的だったみたいです。お騒がせしました。ほら仁志、何か用があって来たんだろ」
「……いや、挨拶と書類を届けに来ただけだ」
「そっか。じゃあ俺は教室に戻るから」
しばらく胡乱げに木崎を凝視していた仁志だったが、戸口に立ったままの彼の前まで歩いて行くと、ようやく一先ずの警戒を解いたらしい。
持参した数枚のプリントを、木崎に差し出した。
「生徒会書記、仁志 秋吉だ。保健室の備品で不足しているものがあったら、その用紙に記入しとけ。後で補佐委員のやつが取りに来る」
「わざわざどうも」
退室しようとした光は、仁志が名乗ったときに鋭さを見せた木崎の双眸に気付いてしまった。
当の外見不良は気付いていない、捜査員の眼。
仁志のことは随分前から話していたから、当然、要注意人物として認識されているはず。
近いうちに仁志にすべてを告白しようと考える光は、二人の対峙に居た堪れなくて、そそくさと保健室から出て行った。
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