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「……あいつはどこだ」
「だから、教えてやるほど優しくないんだって」
以前聞いた台詞をもう一度言われるが、相手の遊びに付き合ってやる余裕などあるはずがない。
穂積はソファの肘掛の上で、拳を握り締めた。
「俺はアイツに、無理をさせたのか?」
誰も信じられないと、ポッカリ何かが抜けた顔で語った少年に、努力してみろと言った。
本当に誰かを信じたいと願うのならば、そのための努力をする必要があると、そう言ったのだ。
だが、こうして行方を消されてしまえば、あれは彼にとって重荷だったのではと不安になる。
「信用」という二文字を、無理に背負わせた自分は、千影を苦しめてしまったのではないのか。
最後の夜、千影は「信じている」と言ってくれたけれど、本当は無理をさせていたのではないのか。
ずっと、気がかりだった。
男の唇から煙が抜けて、緩やかに虚空を漂う。
「楽しそうだったけどな」
「なに……?」
小さな呟きは店内のBGMに完全に紛れることもなく、僅かに穂積の耳朶を掠めた。
狼狽が色濃く滲んだ瞳で相手を凝視したままフリーズしていると、ウェイターが隣のテーブルにアイスティーを運んでくる。
煙草を灰皿に潰した男は、ビリジアンのストローを咥えたまま、初めてこちらを向いた。
真面目にもふざけたようにも見える大人の二つの目に、居住まいを正してしまったのは何故だろう。
奇妙な緊張に内心首を傾げれば、男は人差し指をピッと立てて。
「穂積くん、一つ教えてあげよう。千影ともう一度会いたいなら、千影の存在を信じるんだな。アイツは存在しない存在、アイツをこの世に存在させたいなら、ただひたすら千影がいた事実を忘れるな。で、明日からもよっく目を凝らしてりゃあ会える……かもしれない」
「おい」
なんだ、それは。
こちらの深刻な心理状況をまるで無視した、軽い調子でのたまった内容。
千影の言葉並みに意味が分からない。
けれど。
からかわれたと一蹴することも出来ない、不思議な気配を感じてしまった。
どうしたものかと戸惑う内に、男は一気にグラスを空けると、さっさと席を立つ。
ポンッと放り投げられたものを、条件反射で受け取った。
「ま、夏の妖精に恋をしたとでも思っとけ。じゃあ、お気に入りのゴミ虫くんによろしくな〜」
穂積が動き出せたのは、ひらひらと手を振って出て行く背中が視界から完全に消えて、暫くしてから。
キャッチしてしまったアイスティーの伝票が挟まったバインダーを、自分のグラスの横に乱暴に放った。
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