残されたのは。
SIDE:穂積
『おかけになった電話番号は、現在使われておりません……――』
そっけない合成音声を耳にして、男はマナー違反にも舌打ちを零した。
役に立たぬ携帯電話をテーブルに放り、訳の分からぬ不快感を紛らわそうと、いつものアイスコーヒーに口をつける。
ジャズの流れるカフェにおいて、向かいの席には誰もいない。
いつまで経っても一人きりでいる穂積に気付いて、顔見知りになった店員の方がそわそわしていた。
止めろ。
そんな顔で見られても、こちらは返す言葉を持っていない。
店内にかけられたアンティークの壁時計を確認すれば、店に来てからすでに二時間が経とうとしていた。
六日だ。
公園で花火をしたあの夜から、経過した日はすでに六日。
明日には始業式の準備のために、学院に戻らなければならない。
ただでさえ生徒会の仕事を他の役員に任せているのだ。
出来る限り早く戻るに越したことはないと言うに、穂積はまだ未練がましく連日昼頃にはこのカフェへとやって来ていた。
待ち人の影さえ現れぬと言うのに。
「何をやっているんだ……」
口元を隠した掌の内側で、小さな自嘲。
蘇る記憶は今尚鮮明だ。
意味の捉えられない台詞と共に別れを切り出した少年を、その場で引き止めることは出来なかった。
顔は笑顔を浮かべているのに、纏う空気のひりつく切なさが肌に突き刺さり、思わず息を詰めた。
精緻に整った美貌が刻んだ、泣き出しそうな笑顔は酷く痛ましい。
穂積は疑問と哀切に満たされて、静止の言葉一つ言えないまま硬直していた。
その結果が、これだ。
交換した千影の携帯電話は解約されているらしく、電話が通じなければメールは宛先不明で戻って来る。
バックグラウンドへの追求を拒んでいるのは明らかだったから、あまり多くを聞かずにいたけれど、連絡を取る手段のない今の穂積は踏み込まなかったことを後悔してしまいそうだった。
本当に、何も知らなかったのだと痛感した。
知っているのは「千影」という名前と、意味をなくした数字にアルファベット。
アイスティーはレモンで、吸わないはずなのに煙草の匂いが少しして。
甘いフレグランスが時折残っていたりもする。
それくらいだ。
教えてくれた欠落や、透明な雫の美しさや、恐怖に竦んだ臆病も。
知っているけれど。
でも、それだけだ。
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