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どちらか片一方でいたからこそ、穂積と今日まで会うことが出来ていたが、夏が終わってしまえば限界。
二重生活ほど正体発覚のリスクが高いものはない。
学院で光となり、街で千影に戻るなんて真似が可能であると、信じられるような無神経さは持ち合わせていない。
だからもしこの次、穂積と「千影」が出会うときが来るとすれば。
それはこちらの正体に、気付かれたとき。
意味を捉えられない男は、若干の苛立ちが混じった声になった。
「ちゃんと説明しろ。ドラッグの件はどうなる」
「もう粗方街の方は調べただろ?真昼だって気付いているはずだ。たぶん、根源は街にない。そっちの組織にある」
学院に。
麻薬取締官との繋がりがある木崎がいない状態で行われた、穂積との調査は情報収集がメインで、ドラッグの売買が行われている可能性があると思われる場所を回ってみたが、どこも思った通りの結果は得られなかった。
別のドラッグがさばかれていたり、服用者を見つけたりはしたものの、こちらが求めるインサニティについてはさっぱりだ。
立て続けにインサニティの事件が起こった学院にこそ、大本の売人がいることは、この数ヶ月通して城下町を調査した木崎の見解でもある。
穂積とて分かっていたからこそ、口を噤んだに違いない。
そっと傍らのベンチを窺えば、端整な面を翳らせた男が、強い双眸でこちらの茶色を見つめ返した。
含まれる真剣に血がドクリと反応して、思わず震えた体のために、線香花火の丸い赤は、ついに地面へと落ちた。
しかし、千影には終わってしまった花火を気にかける余裕もない。
ただ黒曜石に射止められたまま。
穂積の花火も爆ぜるのを止めたせいで、しばし訪れた夏の沈黙。
夏虫が奏でる旋律だけが、人家を離れた公園を支配する。
対面の唇が、ゆっくりと開いた。
「お前は、俺を信じられなかったか?」
思いがけない、質問。
あまりに予想していなくて、見当違いで。
なのに重苦しく聞いてくるから、金縛りにあったように固まっていた身から、ふっと力が抜けた。
思わず頬が緩んでしまう。
どことなく頼りなくも見える穂積の目に焦点を合わせて、否を告げる。
「違う。すごく、信じてる。驚いた、こんなに誰かを信じられると思ってなかったから。俺でも相手を疑うことなく接することが出来るって、初めて知った。だから、会えなくなるのは関係ない。真昼は、俺のことを信用できたか?」
「……したよ。何も知らなくても、お前はどこか根本的なところで、俺に似ている。今でも、信用している」
渡された答えは穏やかで優しい熱をもたらすと同時に、千影の微笑をやがて迎える秋の風に似たものに変えた。
千影はしゃがんでいた膝を伸ばし立ち上がる。
穂積はベンチに腰掛けたまま、こちらを見上げた。
黒い、夜よりも闇に近い瞳。
九月になっても、この瞳はまた自分を視界に入れるだろう。
何度となく、視界に納めるのだろう。
映し出される姿は、穏やかなブラウンの髪も揃いの瞳も持たない、不恰好な転校生ではあるけれど。
本当は「さよなら」じゃ、ない。
喉元で引っかかった一言は、決して音になってはいけないから。
「なら、さよならだ。また会えたら、そのときは謝るよ。ぜんぶ」
騙していたこと。
彼の花火が落ちるのを見届けず、千影は動けずにいる男を置いて、夜の闇へと溶けて。
消えた。
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