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「っその呼び方止めろって、昔から言ってるだろっ!」
「はいはいはい。分かったから戻ってなさい。今日は冷麺が食いたい」
「知るかっ!」
シッシッと手を振らずとも、千影は肩を怒らせて足取り荒く行ってしまった。
今夜の食卓に、リクエスト料理が並ぶかどうかは賭けだな、と一人笑う。
華奢な後姿が完全に視界から消えたところで、木崎は未だ足元に蹲る男に注意を戻した。
さり気なく左の足首を組み付けてやっていたので、逃走も出来なかったらしい。
これからどうなるのだと、見上げてくる相手の顔には、未知への恐怖が窺える。
「ほら立て。お前も出来心だったんだろうけどな、ドラッグは違法だぞ」
「け、警察……なのか?あんた」
「二度目。質問権は俺にしかない」
男の手首を後ろから掴み、前を歩かせる。
少し離れたコインパーキングに、借りたレンタカーがあった。
麻薬取締部は地方厚生局内に設置されてはいるが、城下町でドラッグの流行が盛んに行われている実情が発覚してからは、その隣市に出張所として事務所を構えていた。
都心を管轄とする間垣も、その事務所に派遣されて来ている。
インサニティが最初に確認されたのは、都内でのこと。
未知の薬物に緊張が走り、地道な調査を続けて行った結果、この街にまでたどり着いた。
初動捜査に当ったということで、城下町を管轄とする取締部と、合同捜査のような形が出来たらしい。
通常業務の傍ら、碌鳴が絡んだことで扱いの難しいインサニティを調査するのは骨で、木崎探偵事務所に依頼が舞い込んで来たという次第だ。
数ヶ月のうちに作成したリストの人物を、ここ連日片っ端から引っ張っては、豚箱に放り込んではいるも、無闇やたらと言うわけではなかった。
泳がせ捜査をしている人間の除外は勿論、麻薬ルートを潰さないように、慎重に選出したものばかり。
みな、大きな組織との繋がりが見られない、個人購入者やバイヤーである。
しかし。
少し、狩り過ぎたかもしれないと、木崎は思った。
千影が戻って来て一週間が経過した。
久々に二人で調査が出来る嬉しさもあったのだろう。
ほぼ毎日と言える頻度で、誰かしらを捕まえている。
いくら小物ばかりとはいえ、街のバイヤーに警戒され始める頃だ。
今、前を歩く男を除けば、リストの残りは僅かになった。
明日からは地味な情報収集に戻るのが得策。
千影にも少し自由な時間を与えた方がいい。
合流したときの少年を思い出し、木崎は眉を寄せた。
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