大人。
SIDE:木崎
今、一番大切なものは何かと聞かれたら、木崎は迷わず「千影」と答える。
この先、千影以上に大切なものが出来ることもあり得ないと、断言できる。
あの小さな命に初めて名前を呼ばれたときから、それは変わらない絶対のアンサー。
そして、木崎が負った生涯続く罪だった。
「おい、おいおいおいおい、何やってんだ」
「え?」
少年の細い右手首を掴みながら、男は焦った調子で制止を促した。
場所は人もまばらな寂しい路地裏。
ドラッグを服用する瞬間を見計らって、ターゲットを取り押さえようとしたのだが、何がどうしてこうなった。
こちらを仰ぎ見る千影の瞳は、どこかぼんやりとしていて、意識が何処かへ飛んでいることがよく分かる。
もう一方の手もソレから外させてから、木崎は子供の頬をペチペチと軽く叩いてやった。
「あ、え、俺……ってうわ、ごめんっ!」
「ようやく気付いたか」
ほっと胸を撫で下ろしつつ言うのも無理はない。
我に返って慌てふためく千影の傍らには、膝を地に着いたターゲット。
血の気が引いた顔にはこれ見よがしの苦悶の表情が浮かび、ガタブルと身を恐怖に竦ませている。
被疑者確保にと飛びした千影は、標的の腹に問答無用の一発をめり込ませるや、両腕を背後に捻り上げてしまったのだ。
形ばかりの問答もなく、常にない暴力的な展開である。
取り乱す千影を脇にどかし、木崎は地べたに倒れようとする男の胸倉を掴み引き寄せた。
「連れが突然悪かったな。けどまぁ、いい教訓になっただろ?馬鹿な真似すりゃ痛い目みるって」
「あ、あんたら一体……」
「残念」
ターゲットの言葉を当然のように遮ると、木崎はにやりと嫌な笑みを浮かべた。
「ここは一方通行だって知ってたか。質問権は、俺たち側にしかない。インサニティってヤクを、知ってるか?」
本能が叫ぶ警告に、男は勢いよく頭を振った。
またしても空振りか。
素直に信じるわけにはいかないが、竦みあがった様子を見る限り、そう嘘をついているようにも思えない。
パッと手を離してやれば、重力に従ってターゲットの体が地面にへたりこんだ。
木崎は首裏に手を当て、ため息をついた。
くるりと背後を向けば、しゅんっと項垂れた少年がいる。
仕事中に意識を飛ばした上に、手荒な行為に出てしまったことを悔いているのは一目瞭然。
何があったか知らないが、そんな顔をされると弱い。
「おい、ボケッとすんな?俺はコイツ引渡してくるから、お前は先に戻ってろ」
「待てよ、俺も……」
「ちぃ」
呼んだ途端、対面の綺麗な顔がフリーズして、そして真っ赤に変色した。
一年に一度、見られたらいいであろう稀有な赤面だ。
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