どうして彼は。

どうして彼は、欲しい言葉をくれるのだろう。

どうして彼の声は、素直に届くのだろう。

あの時のように、千影に覚悟を決めさせる。

真っ直ぐな心を育てればいいと、真っ直ぐになることを認めてやれと。

教えてくれたあの時と、何一つ違わない。

凛とした眼、伸びた背中、通る声。

穂積 真昼という男を構成するすべての要素が、彼の心と絡み合って、千影の胸に一筋の光明となり差し込むのだ。

世界が滲んだ、顔が熱くなった、脳がジンと痺れる。

やってみると。

努力してみると答えたいのに、喉は蓋がされたように声が出ない。

木崎を信じたい。

仁志を信じたい。


それなら、穂積のことは?


滑らかな肌を伝い落ちる雫に、男が息を呑んだことにも気付けなかった。

切ない喜びに支配された千影を現実に引き戻したのは、無機質な携帯電話の着信音。

自分の立場、現状、ドラッグ調査。

忘れかけていたすべてが怒涛の勢いで蘇った。

千影は弾かれたように立ち上がると、動かぬ穂積を置いて一目散に店から走り出た。

扉の閉まる、激しい音が聞こえるもすでに遠い。

飛び出した屋外はむっとした熱気が漂っていたけれど、千影の身内に溢れる奇妙な充足感は、夏の気温を軽々と凌駕している。

全速力で走れば、風に乗って涙の欠片が宙を舞った。




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