SIDE:穂積

ぽっかりと、何かが抜け落ちたようだった。

真向かいに座る少年の瞳には、彼を支えていたものが崩れ去った痕が見える。

自分が口にした何が、「ちかげ」の琴線を揺らしたのか。

与えられた答えに、僅かな刻を言葉失くした。


――俺は……疑うことしか知らない


今にも消えそうなか細い声が、今にも折れそうな脆弱な声が。

鼓膜を揺らすと同時に、心臓を刺した。

信じることを知らずに生きてきたのだと。

「ちかげ」は全身から語りかけてくる。

それこそ疑う余地もないほど、切実に。

痛ましいほどに。

他人を信じられぬ自分を、嫌悪しているのが分かって。

不意に、抱き締めたくなった。

護ってやりたくなった。

怒りすら湧いた。

誰が彼から信じる心を奪ったのかと。

誰が彼に信じる心を与えなかったのかと。

誰が彼を、自責の念に突き落としたのだ。

穂積の人間関係とて、そう順風満帆ではなかった。

家柄のために逃げられぬ、生臭い交流の数々。

賛辞に潜む媚び、労わりに隠された侮蔑、導きの手は破滅への誘いだった。

身を置く世界で生き抜くためには、群がる魑魅魍魎共以上に、賢しくなるしかない。

甘言を鵜呑みにしなくとも、笑顔で応じる。

神妙な顔で聞き入る傍ら、潰す算段をつける。

生まれてからの歳月の中、潜り抜けた探り合いで、自分も随分な性格になったものだ。

品の良い微笑の仮面も、今では瞬き一つで被ることが出来た。

上流階級ならではの、果て無き権力抗争。

それでも、穂積には信じられる相手がいた。

厳しくも見捨てることはない母親、心からの優しさをくれる幼馴染、学院で出会った役員の面々、気の合う同志。

流動的な社会の中で、皆いつ敵対するかも分からぬ相手だけれど、穂積は確かに信じていた。

確約などなくとも、信じることが出来ていた。

なのに。

この目の前で力なく虚空を見つめる少年は、誰も信じることが出来ない。

信じる相手がいない。

信じ方を、知らない。

それは何て。

何て哀しいことだろう。

護りたい。

護らなければならない。

生まれた想いは、黒髪の少年へ抱いたものと、相違なかった。




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