◇
SIDE:穂積
ぽっかりと、何かが抜け落ちたようだった。
真向かいに座る少年の瞳には、彼を支えていたものが崩れ去った痕が見える。
自分が口にした何が、「ちかげ」の琴線を揺らしたのか。
与えられた答えに、僅かな刻を言葉失くした。
――俺は……疑うことしか知らない
今にも消えそうなか細い声が、今にも折れそうな脆弱な声が。
鼓膜を揺らすと同時に、心臓を刺した。
信じることを知らずに生きてきたのだと。
「ちかげ」は全身から語りかけてくる。
それこそ疑う余地もないほど、切実に。
痛ましいほどに。
他人を信じられぬ自分を、嫌悪しているのが分かって。
不意に、抱き締めたくなった。
護ってやりたくなった。
怒りすら湧いた。
誰が彼から信じる心を奪ったのかと。
誰が彼に信じる心を与えなかったのかと。
誰が彼を、自責の念に突き落としたのだ。
穂積の人間関係とて、そう順風満帆ではなかった。
家柄のために逃げられぬ、生臭い交流の数々。
賛辞に潜む媚び、労わりに隠された侮蔑、導きの手は破滅への誘いだった。
身を置く世界で生き抜くためには、群がる魑魅魍魎共以上に、賢しくなるしかない。
甘言を鵜呑みにしなくとも、笑顔で応じる。
神妙な顔で聞き入る傍ら、潰す算段をつける。
生まれてからの歳月の中、潜り抜けた探り合いで、自分も随分な性格になったものだ。
品の良い微笑の仮面も、今では瞬き一つで被ることが出来た。
上流階級ならではの、果て無き権力抗争。
それでも、穂積には信じられる相手がいた。
厳しくも見捨てることはない母親、心からの優しさをくれる幼馴染、学院で出会った役員の面々、気の合う同志。
流動的な社会の中で、皆いつ敵対するかも分からぬ相手だけれど、穂積は確かに信じていた。
確約などなくとも、信じることが出来ていた。
なのに。
この目の前で力なく虚空を見つめる少年は、誰も信じることが出来ない。
信じる相手がいない。
信じ方を、知らない。
それは何て。
何て哀しいことだろう。
護りたい。
護らなければならない。
生まれた想いは、黒髪の少年へ抱いたものと、相違なかった。
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