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帰省届けの受理を示す文面を思い出せば、蘇る不快感。
その根底には純然たる「心配」の念も潜んでいると、男が気付くことはなかった。
上品な面には見合わぬ舌打ちを落とすと、ベンチから立ち上がった。
一度、綾瀬と合流でもしようか。
午前中に回った範囲で異常がなければ、そろそろ次のエリアに移った方がいいだろう。
碌鳴機密事項であるが故に、調査に補佐委員会を動員することも出来ないため、人海戦術は使えない。
時間も労力もかかってしまうが、自分たちで城下町を見回るしかないのが現状だ。
光と友人関係を築いている仁志にも調査を命じたが、彼はしばらく学院を空けると言い残し、どこかへと出かけていった。
外出先として提出されたのは、彼の本家だったが、どこか強張った後輩の顔を思えば、素直に受け取ることは出来なかった。
友人がドラッグとの繋がりを疑われているのだ。
彼とて何か思うところがあっても仕方ない。
しばらくの間は静観することに決めて、仕方なしに穂積は綾瀬と二人だけで、ここ連日城下町の見回りに出向いている。
人の流れに沿うように歩を踏み出し、雑然とした通りから離れた。
落ち着いたセレクトショップとカフェが並ぶだけのその道は、表の賑やかさとは違い居心地のよい静けさがあった。
携帯を取り出し履歴から綾瀬へと繋げる。
数回のコール音が鼓膜を震わせる暫しの間に、当てもなく視線を彷徨わせていたときだった。
「あっ……」
聞こえたのは驚いたような小さな一音。
思わずそちらを向いた途端、こちらを凝視して固まっていた少年が一人、顔を蒼白にさせた。
何事かと思う前に、相手はダッと踵を返して細い路地へと飛び込む。
「おい、待てっ……」
『はーい、僕だけど』
絶妙なタイミングで通話が開始された携帯を、躊躇なく畳みポケットへ戻すや、穂積は走り出した。
自分を発見するや逃げ出すなんて、やましいことがあると言っているようなもの。
前を行く私服姿の背中を凝視すれば、少年の纏う空気は明らかに碌鳴生のものであると、発達した感覚が告げた。
「待て、止まれ!」
声がぶれぬよう腹に力を込めて静止を叫べば、これ見よがしに肩を震わせたが、捕まるわけにはいかないと、必死に逃走を続ける。
だが、元から身体能力に大きな差があったらしい。
穂積と少年の距離は見る間に縮まり、もうあと二歩詰めれば相手のシャツに手が届くというところで、細い路地が終わりを迎えた。
薄暗い一本道から光溢れる通りへ出た。
そのとき。
「っ!?」
「うわっ!!」
右手から突進して来た障害物を視界の端に捉えたときには、穂積の長身は地べたへと転がっていた。
威力のある衝撃に、受身は取れたものの倒れこむ。
強かに打ち付けた肘が、ジンッと痺れを訴えた。
どこのどいつだ、邪魔をしたのは。
あれほど近くにあった逃走者の足音は、もうどこにも聞こえない。
自分にぶつかって来た人物のせいで、取り逃がしたのは疑いようもない事実だった。
仰向いた腹部に重みを感じ、男は痛む体で自分を下敷きにする相手を睨み付けた。
「おいっ、どこを見て……」
「ってぇ……すいませ……」
殺気さえ籠った穂積の恫喝と、相手が謝罪を口にしたのはほぼ同時。
柔らかな茶色の髪をさらりと揺らしながら、俯いていた面がこちらを見やる。
視線がぶつかった瞬間、二人の瞳が大きく見張られた。
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