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そして今回の一件で、その憶測はさらに強まっている。
やはりあの特殊な世界の中に、売人は潜んでいるのだ。
「仁志……って言ったか」
「っ」
胸に浮かんだ人物の名前を、紫煙と共に吐き出されてぎょっとした。
微かに揺れた双肩に、相手は気付いているのかいないのか。
特段含みのない声では、彼の真意を推し量ることも出来ない。
「そいつはどうなんだ。前の潜入先にもいたんだろ?確か、一番疑ってたはずだな」
「う、ん……ずっと傍で見てたけど、そういう気配はなかったと思う」
自分の台詞に自分で焦る。
何て歯切れの悪い回答だ。
これでは仁志に何か問題があると言っているようなもの。
「光」の仮面が剥がれかかっている事態は、城下町に灯る明かりを、何とはなしに眺める横の男に報告すべきだと分かっている。
上下の唇を縫い付けるのは、すべて千影の個人的な感情だ。
噴水前で遭遇した綾瀬との会話で、いつか真実の自分を仁志に紹介したいと思った気持ちは、今でも変わらない。
調査員としての己を思えば、正体を明かすことなど言語道断。
なんて、ただの言い訳だ。
現実は恐怖と願望の狭間で揺れる天秤が、前者の方へ大きく傾いているだけ。
仁志が売人でない確証などないと言うのに。
こんな思いを、どうして言える。
竦んだ心が千影の頬を強張らせたとき。
「そうか」
「え……?」
いつの間に持って来たのか、六角形の銀の灰皿に短くなった一本を押し付けると、木崎は先程と同じように少年の髪を撫でた。
見上げた先で待つのは、深い色合いに優しさを混ぜた双眸。
「お前がいいと思ったようにすればいい。結果どうなろうと、文句はないから」
「……武文」
ポンポンと、叩くような大きな掌は温かい。
幼いときには欲しくて仕方なかった、保護者の庇護の手。
親ではない、兄弟でもない、血縁者ですらない。
守り慈しみ導く、唯一無二の保護者のそれは、いつだって千影の弱い部分を包み込む。
嬉しくて、情けなくて、哀しくて。
茶色の眼は、対面の存在を見つめるばかりだ。
戸惑ったようにも叱られたようにも見える風情の少年に苦笑すると、木崎はすいと手を退けた。
「ま、いくら売人が碌鳴内部にいる可能性が高いって言っても、俺のリスト載ってる奴らが完全に白と決まったわけじゃない。明日から一人ずつ確認するぞ」
「……」
「返事が聞こえません、千影さん」
「……っ分かった。もういいから部屋戻れよ、俺も食器洗う」
「はいはいはいはい。俺には一服する暇もないわけか」
「もう一本吸っただろ」
殊更冷淡に返す千影の唇は、小さく笑みの形を作っていた。
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