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それは見知った顔であった。
言葉を交わしたことはないが、最後に見てからそう日は経っていない。
どうして彼がここにいるのだ。
指先から血の気が引いて行き、目の奥がガンガンと痛み出す。
鼓動が早鐘の如く脈を打ち、光の焦燥と驚愕を増幅させる。
長い黒髪とレンズに隠された瞳で、少年はただその男を見つめ続けた。
仁志はクラスの騒ぎを煩そうに確認したあと、根源である光を視界に捕らえた。
少しの間は、彼が光を認識しているため。
己と対極を成す転校生の姿に興味を失ったのか、仁志の眼はすぐにそらされた。
光は詰めていた息をひっそりと吐き出す。
よかった、どうやらバレてはいないらしい。
硬くなった身体を弛緩させた少年は、けれど再び注がれた男の眼差しに、ビクリと肩を震わせた。
スクールバッグの持ち手を、ぎゅっと握り締める。
二度目の相手の瞳は、ここからでも分かるほどに訝しげな色が塗されていたのだ。
何かが引っ掛かる。
そんな顔つき。
大正解だ。
なかなか勘がいいな、と褒めてやりたい。
彼が知っている自分の姿は、今とはまるで違うと言うのに。
赤い長髪に泣きボクロ。
こんな根暗な風貌とは正反対の格好しか、知らないはずなのに。
よくぞ疑念を持った。
おどけた考えは現実逃避。
どうしよう、どうすればいい。
逃げ出してしまいたい衝動を理性で押さえつける光の耳に、須藤の無情な声がかけられた。
「はい、長谷川くん。さっさと席に行って下さい」
当然の催促も今の自分には、憎く思える。
冷たい汗が背筋を伝う錯覚。
再び騒ぎ出した教室の罵声も、どこか別世界のように聞える。
仁志の眼光は誰よりも鋭く、力に溢れているせいで、自分から離れていないことは簡単に分かった。
一歩、一歩と仁志との距離が狭まるにつれ、光はどんどん顔を俯かせていく。
はたから見れば、教室を埋め尽くす悪口に怯えているようだったが、少年の世界には二つのものしか存在してはいない。
偽りの自分と、仁志の視線。
このまま気付かないでいてくれ。
そう願ったのは、自分の席の真横に来た瞬間。
強い力で手首を掴まれたときだった。
「おい」
「えっ!?」
席につくのを阻まれて、少年は大げさなほど肩を跳ね上げた。
仁志の瞳が鋭さを増す。
「…お前、誰だ?」
「え、あの、長谷川……光です」
「ひかる……光……お前、どこかで会ったことないか?」
ほっそりとした手首が、相手の大きな掌の中で微かに震えた。
音を確かめるようにして呼ばれたあとの問いかけに、光は飛び上がるのを寸でやり切ると、何とか平静を努めようとする。
喉がからからに渇いている。
心臓がバクバクと五月蝿い。
彼が光を呼び止めたせいで、外野の声が最高潮に達していた。
「ないよ。初めまして」
顔面の固まった筋肉を必死に動かし、口元に笑顔らしきものをこしらえる。
チラリと視線を上げた瞬間に、相手の強い光とぶつかってしまい、慌ててそらそうとするが、逆に怪しまれるかもしれないと思うと、逃げることも出来ない。
しばらくの間、仁志はじっと光を見つめていた。
「……本当にないか?」
「ないない、まったくない。これっぽっちもない」
「どんだけないんだよっ」
「ミクロン……遺伝子レベルでない」
「遺伝子かよっ!!はっ……ははははっ」
本気で首を振る光の言葉に、仁志は腹を抱えて笑い出した。
ガラの悪い面が緩んで、年相応の無邪気な笑い顔。
あれほど騒がしかった教室が水を打ったように静かになったことで、光もくすくすと笑みを零した。
一人の生徒に踊らされている事実は、なかなか笑える。
そして瞬きの間の後、わっと声が上がった生徒たちに、目を剥いた。
「うそっ!!仁志様が笑ったっ!」
「見たっ!?凄いレアだよっ」
「誰かムービー撮ったか!?」
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