眼鏡の向こうには、きっと限界まで見開かれた瞳があっただろう。

突然の暴挙に混乱したのか、相手が動かぬのをいいことに再度強引に口付けた。

そうだ。

あれは確かに、無理やりだった。

「自分」から仕掛けた「無理やり」のキスである。

最低だ。

意味が分からない。

己の行動に愕然とした気持ちになったのは、事件の処理の指示を出し、気絶した光を彼のコテージまで運んだあと。

彼を寝かせた寝室から出るや、急速に現実が押し寄せてきた。

まるで催眠術が解けたかのように、ハッと我に返れば、頭を抱えたくなるほどの衝撃が穂積を襲った。

正常ではなかった。

安否を気遣い必死になって探していた相手が、信じられぬ行為を敵の首謀者と交わしていたから、頭に血が上ったのだ。

自我崩壊の危機に瀕した男が、自分を納得させるために出した結論はこれだけ。

けれど、どんなに言い訳を重ねたところで、男の取った行動はなかったことにならない。

分かっている。

分かっているが、あのキスを「認める」に値する理由を、穂積は持っていなかった。


――どうして自分は、あんなにも激しい怒りを覚えたのだろう。


掴めぬ己の心の混乱に拍車をかけるが如く、転校生は姿を消した。

自分の取った暴挙が理由ではないかと、油断すれば浮かび上がる不安を、何度も深淵へと沈めた。

確かに奇天烈な行動ではあったが、学院から失踪するほどでもあるまい。

冗談のレベルを超えた深い交わりではあったけれど、まさか雲隠れをさせるほど威力は持っていなかっただろう。

言い聞かせなければ、ただでさえ救いのない後悔がドツボに嵌まりそうだった。

あぁ、あんなキスなどしなければよかった。

堂々巡りの思考がスタート地点に戻る。

掌の下にある唇に、ほんのりとした熱が蘇りそうになり、穂積は慌てて意識を現実に向けた。

物思いに沈んでいたのはほんの僅かの時間だったようだ。

「逸見、どうだった?」

やや急いた調子で訊ねた歌音に目だけで頷くと、逸見はまっすぐに穂積のデスクへとやって来る。

「……何か分かったのか」

寸前までの思考を強引に収束させ、内心の動揺を完璧に隠してから視線を持ち上げれば、逸見は端整な面に真剣な表情を乗せて、一枚の用紙を差し出した。

一体なんだと受け取った会長が、紙面に並んだ印字を目で辿れば。

その柳眉が、僅かに顰められた。

雑多な書類が布かれたデスクの上に、新しい一枚を捨てるように投げる。

「穂積?どうしたの、長谷川くんは……」
「帰った」
「え?」

完結な返答に、副会長が怪訝そうな顔をした。

だが、穂積にそれ以上説明する気はなかった。

身内では先ほどまでの戸惑いや不安などを凌駕する、重い暗雲が垂れ込めている。

長い指先が、苛立たしげに肘掛を叩いた。

黙り込む会長では埒が明かないと判断したらしい、歌音が逸見へと答えを求めた。

「逸見、どういうことなの?」

行方が分かったと言うに不機嫌になった男を横目で見たあと、補佐委員会委員長は自分が調べた結果を残りの二人へと告げた。

「長谷川の帰省届けが見つかった。今朝一番に受理されている―――長谷川 光は、実家に帰省したらしい」




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