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確かに自分とて概念的なことは知っているが、それだけだ。
まさか歌音の説明をすぐに解されるとは思わなかった。
どんな反応が待っているのか内心だけで緊張しつつ、そろりと相手を窺えば。
「な、なに……ですか?」
「お前、恋をしたことがないのか?」
目を見張った穂積に、質問を質問で返される。
彼の驚きように、光の方こそ驚いてしまう。
確かに自分は「恋」を知らないし、「恋」をしたこともない。
一体どのような想いなのか、まるで分からない。
だが、あの穂積にここまでの驚愕を与える返答だっただろうか。
常に上品な紳士笑顔を貼り付け、他に見せる表情と言えば殺気さえ窺える怒りくらい。
最近では得意げなものや、優しく穏やかな笑み、更に能面なんてものまで目撃しているけれど、驚愕は過去にないはず。
動揺する心臓の収め方が分からず狼狽するばかりの少年に、穂積はやや控え目に言った。
「本当に、恋をしたことがないのか?……さっき話していた奴は?」
「『さっき話していた奴』?」
誰のことを言われているのか見当もつかず、困惑した目で見上げる。
「夕飯前に話していただろ、料理に五月蝿い……」
彼の言葉が最後まで紡がれることはなかった。
妙な緊張感の漂う雰囲気を壊すが如く、味気ない携帯電話の着信音が鳴り響いたのである。
条件反射のようにお互い同時に自身の携帯を取り出し耳に当てる。
実際に着信していたのは、光のものだった。
携帯電話をジャージのポケットにしまう穂積を前に、転校生は「もしもし」と通話の開始を相手に知らせた。
『光か?お前いまどこにいんだよ』
「え?」
『ケータイに出られるってことは、また誰かに拉致られたわけじゃねぇんだろ?肝試し始まったぞ、早く来いよ』
思考が止まった。
ただでさえ混乱していた頭が、さらに坩堝へと落とされる。
何がどうなっている。
光が広場にいないのは当たり前だ。
何故なら綾瀬と役を交換したから。
だから、仁志が合流するとすれば、それは自分に扮した綾瀬のはず。
もしや待っているのが光ではないと気付いたのだろうか。
いいや、それにしては仁志の声音は落ち着き払っている。
もし綾瀬を見たのなら、こちらに電話などかけて来る余裕すらないはず。
では、仁志が電話をかけて来た理由は?
そのとき、再び高音の着信音が辺りに響き渡った。
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