待ち人、想ふ。
SIDE:綾瀬
背中がもぞもぞとする。
制服のシャツの内側に、まとめた髪を入れたのだから当然だが、どうにも落ち着かない。
極力電灯から離れたのは、仁志を待つ人間が自分だと気付かれないため。
薄暗がりならば背格好の似ている長谷川と勘違いしてくれるはず。
突然あの転校生から服を交換しようと提案されたときには戸惑ったが、「彼」と話すまたとない機会だと思えば決断は早かった。
明日には学院に戻ることになる。
そうなれば、仁志と面と向かって言葉を交わすことは今よりずっと難しくなるだろう。
何かと理由をつけて避けられて、仕事の忙しさを理由に目を合わせることも出来ないかもしれない。
事務的なやり取りさえ書面や歌音伝いだなんて、もう耐えられそうになかった。
綾瀬は深く俯くと、きゅっと心臓を押えた。
本当は、怖い。
長谷川に本心を打ち明けた噴水前。
あのときから、彼の心境に変化があったわけでもない。
仁志が何を思って自分を避けるのか、分かりすぎるほどに分かっているからこそ、身が竦む。
自分が彼と接触すれば、否応なしに傷をつける。
彼のもつ傷口に塩を塗ることになる。
怜悧な双眸を限界まで見開き、こちらの背中を凝視したビジョン。
いつまでたっても脳裏から離れない。
衝撃に打ちひしがれ、悔恨の念に囚われて。
自責することだけしか知らぬように。
そんな仁志を見るのは、居た堪れない。
本意ではなかった。
同時に。
仁志に拒絶されることもまた、恐ろしかった。
平生、喜怒哀楽の波が激しい男の、「怒り」が他を逸したものだと理解していたから、体育倉庫で吹き飛ばされたことについて、何ら思うところはないけれど、存在そのものを跳ね除けられるのは、嫌だ。
心に触れることを赦されない。
どころか、会話さえ打ち切られる。
あまりに痛くて、辛かった。
一方的な思いの流れを痛感させられる出来事は、綾瀬の身内に堪らない苦しさを与えるのだ。
夕刻の一件を思い出し、再び胸中に込みあがった息が詰まる気配を逃がそうと、そっと息を吐き出す。
コツリ、と背後で足音が聞こえたのはそのときだった。
来た。
待ち望んだ相手が。
振り返れば目を丸くするだろうか。
次に浮かべる表情は何であろうか。
怖い。
怖い。
でも。
ぐっと拳を握り締め、副会長は背後を振り返ろうとして。
出来なかった。
後方からにゅっと飛び出した手が、口と鼻を覆ったのである。
「っ……!」
押し付けられる布の感触に、目を見開く。
脳髄をグラリと揺らすような感覚に、薬品を用いられた現実に気付いた。
習得した護身術で咄嗟に反撃をしようとするも、意識が遠のく方が僅かに早い。
ぶれる視界、傾く身体。
最後に映した視界に見えたのは、待ち人の輝く金髪ではなかった。
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