幸い、周囲に人の気配はない。

調理を再開しつつ、答えを口にした。

「会長といるところ見られたら、何言われるか分かんないだろ?」
「安心しろ、五月蝿い輩は撒いてきた」
「撒いてきたって……」

上品に整った顔と、俗っぽい台詞のギャップは中々シュールだ。

勝手に椅子に腰掛けた穂積は、どうやらしばらく動くつもりはないらしい。

見回りなのだから、他のコテージも見なければならないだろうに。

頬杖をつく何気ないポーズも絵になる男は、ただこちらを観察するのみだった。

浮かんだのは、一つの仮定。

降って湧いたような想像が、頭の中を占拠した。

一人きりの自分を、気遣ってくれたのではないか。

と。

あまりに都合の良すぎる仮定。

だが穂積の優しさを知ってしまった後では、それが真実に思えてならない。

違う、勘違いだと、言い聞かせようにも頬が緩みかける。

傲慢なくせに、妙に気遣いの男。

自分で窮地に追いやりながら、光の危機には誰よりも早く駆けつける、意味の分からない男。

無理に素顔を見ようとするくせに、こちらが本気で拒絶をすれば、決して強引には暴かない優しさ。

唐突に展開した脳内の記憶に狼狽したのは、火の強さを調節しているときだった。


――不意に誰かのことを思い出したら、それは前兆かもしれないよ


言われた直後、己の脳裏を過ぎって行ったのは。

闇のように深い、黒の眼。

一週間前に感じた原因不明の重苦しさが、腹の底にズシリと響く。

あぁ、馬鹿みたいだ。

馬鹿みたいだ。

急に掌に汗が滲んで来た理由は、まるで分からない。

分からないのに、ムズ痒い痺れが背筋に走る。

平静がどこかに吹き飛んで、心がさっぱり落ちつかない。

あぁ、馬鹿みたいだ。

馬鹿みたいだ。

どうして自分は、緊張なんかしているのだろう。




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