◇
次第に険しさを増す鋭い双眸が、忌々しげとも言える強さで穂積を見据えた。
突き刺さる視線をしっかりと受け止めるのは、冷静な黒い輝きだ。
「この間、お前は見たな」
「……何をだよ」
幾ばくかの間が、何よりの答え。
仁志の脳裏に浮かぶのは、たった一つのビジョンに相違ない。
意識的に逃げようとする男を、許す気はなかった。
穂積ははっきりと、口にする。
「綾瀬の背中だ」
「っ!」
息を詰める、音。
一瞬前よりずっと凶悪さを増した眼光が、平静を崩さぬ男を睨み付けた。
暴かれたことに対する怒りなのか、己に対する憎悪なのか。
穂積に判断する術はなかったけれど、ここで見逃しては誰のためにもならない。
生徒会全体のためにも、綾瀬のためにも、何より。
『加害者』自身のために、直視させる必要がある。
「アレは、お前が付けた傷だ」
「っ知ってる!」
「ならどうして逃げた。お前、あれから綾瀬と会ったか?」
「うるせぇっ、てめぇには関係ねぇだろうがっ!!」
ガタンッと乱暴にソファを立ち上がる男を、ただ静かに見つめ返す。
無言の糾弾は、仁志の神経を容赦なく追い詰めた。
「俺だって分かってるっ、分かってんだよっ!!」
「ならさっさと謝れ。面と向かって頭を下げろ。逃げれば逃げるだけ、お前は後悔すると知っているはずだ」
「黙れよっ!そう簡単にほざくな、どの面下げて会えるってんだよっ!俺があの人に怪我させたんだぞっ、俺があの人に傷をつけたんだぞっ!?」
怒鳴り散らす顔は不自然に引きつっていて、少し触れれば砕け散りそうな脆い怒りに覆われている。
仁志自身、どれほど自分の行いを悔いているのかが、それを見るだけで十分理解出来た。
だから余計に、逃げることの臆病さが目に付いて仕方ない。
綾瀬の想いを知る穂積には、尚更黙って傍観していることは不可能だった。
「お前は、本気なのか?綾瀬に」
零れ落ちるように発せられたのは、まるで意図しない言葉で。
思わず突いて出てしまったことに、穂積は己に驚いた。
今、問うつもりは欠片だってなかったのに。
内心の焦燥を無理やり押さえつけ確認した対面で、激しい怒気をどこかに吹き飛ばし、呆然とする仁志が立ち尽くす。
ぶつけられたものが一体何であったのか、理解しているはずなのに、体が追い付かないとでも言うように。
激情が抜き取られた身体がビクリと反応したのは、不穏な沈黙に支配された室内に、ノックの音が響いたときだった。
「穂積ー、お昼買って来たよ。クラブハウスサンドと、アイスコー……」
場違いも甚だしい、陽気な声は。
あまりに場に見合った人物のもの。
甘栗色の長い髪を揺らしながら、手にしたトレイはきっと食堂から持ってきたのだろう。
生徒会室の様子、否。
硬直する仁志の存在を目にしたのと、メニューの続きが失われたのは同時。
「仁志……くん?」
呼びかけによって石化が解けるや、生徒会書記は顔を伏せたまま、逃げるように綾瀬の脇から外へと飛び出して行った。
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