『起きたのか?』

その声が鼓膜を打ったのは、色素の薄い髪が纏ったシャンプーの泡を、すすいでいる時だった。

シャワーの音にかき消されることなく、曇り硝子一枚隔てた向こう側から、かけられた言葉。

あぁ、会長か。

なんて、やけに冷静に相手を認識する脳とは反対に、心臓は凄まじいスピードで内側からノックを始めた。

髪に埋めていた指先が、硬直すると同時に血の気が引いていく。

彫像さながらフリーズ状態に陥った光は、肉体から遅れること数瞬の心の激しい動揺に、呼吸困難になりそうだった。

なんで、どうして。

どうして穂積がここにいる。

決まっているではないか。

ここに自分を運んで来てくれたのは、穂積で。

玄関の開閉音はしなかったから、大方あのリビングの闇にいたのだろう。

疑問は自身の優秀な頭脳が弾き出した可能性によって、即座に解決されたけれど。

真実、そんなことはどうでもよかった。

今重要なことは、なぜ穂積がここにいるかではない。

変装を完全に解いた自分がいて、そのすぐ近くに、穂積がいる。

気にすべきは、これだ。

『おい、どうした』
「や、あの、はいっ!起きました起きましたっ!」

返事がないことを怪訝に思ったのだろう。

やや低い声に問われ、慌てて返事をする。

「会長がここまで運んでくれたんですよね?有難うございます。俺、もう大丈夫なんで帰ってもらって平気ですよ!」

むしろ帰って下さい。

恩を仇で返すとはこのことか。

相手の厚意を無碍にするような胸中は、しかしあまりに切実だ。

穂積に自分の真実の姿を見られるわけにはいかない。

いや、穂積であろうとなかろうと、学院の人間に。

調査先の人間に、自分の素顔を見られることは、何としても回避しなければならない。

これは光の絶対事項である。

ドクドクと加速を続ける鼓動があまりに五月蝿くて、光は雑音を減らすために咄嗟にシャワーを止めた。

なのに。

『なんで風呂なんか入ってる、すぐに出ろ。お前、熱があったんだぞ』
「いや、汗かいたんで……」
『体調が悪化したらどうするんだ。ほら、早くしろ』

この傲慢魔王っっ!!




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