それが恐怖に歪んだ相手の首筋に落とされる直前に、滑り込んだ逸見の手が彼の足首をしっかりと受け止めた。

「やめろ、仁志っ」
「邪魔すんじゃねぇっ!」

次のとき、光は嘘だと思った。

あり得ないと思った。

『友人』はガードする腕を足場にするや、もう一方の足で逸見のこめかみを蹴り飛ばしたのである。

「っ……」
「逸見っ!」

仁志よりも長身の男が、埃まみれの床を転がって行く。

すぐさま駆け寄る歌音の悲鳴。

自分が何を仕出かしたのか、きっと攻撃者は気付いていない。

証拠に、障害物を排除した後に残った存在へ、改めて今度は拳を持ち上げたのだから。

「や、やめっ……」
「やめるかよっ!」

ガッと、鈍い骨がぶつかる音がする。

あまりに派手に聞こえたから、もしかすれば光の頭が勝手に響かせた幻聴かもしれないけれど、威力は正しく音の通り。

「うぁっ……あっ……」

ひん曲がった鼻から、ポタリポタリと血が落ちたのが見えた。

痛みとショックで最早言葉を紡ぐことも出来ぬ生徒に構うことなく、理性を無くした男はくしゃくしゃになったネクタイを引っ張り、力の抜けた体をうつ伏せに引きずり倒す。

腰を片足で踏みつけ固定し、相手の髪をわし掴んだ。

まさか。

嫌な予感に、身内が冷える。

「仁志くんっ、もうやめてっ!」

事の成り行きに、終には綾瀬が後輩の背中に飛びついた。

比べるまでもなく華奢な腕が、羽交い絞めにしようと必死になる。

柔らかく笑っている場面しか知らない光は、副会長の優美な面に浮かんだ悲痛な表情に、喉を詰まらせた。

脳裏に蘇ったのは、仁志からぬ微笑。


――仁志と合いそうだよな。


そう言ったとき、彼が初めて見せた内側に潜ませるような笑み。

理由は分からないけれど。

あれはとても大切な感情だったように思える。

だから止まれ。

これでどうか、止まってくれ。

祈るのに。

誰もの願いを聞き入れるほど、現実は優しくなかった。




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