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飛び掛るように伸ばされた腕を、少年は床を転げて避けた。
「っは……はっ……」
漏れる荒い呼吸は、隙あらばこちらを組み敷こうとする男たちだけのものではない。
半ば密室のような室内は夏の気温に熱され、喉が焼けるような暑さ。
そんな中をどれくらいの時間、逃げ回っているのだろうか。
僅かにも気を抜けぬ状況では正確な時の流れを掴むことも難しく、意識を取り戻したのは遥か昔のことのようだ。
蒸し釜の中は少年の体力を容赦なく奪い、制服のシャツは汗と埃で悲惨なことになっている。
ロープの拘束から抜け出せたのが、せめてもの救いだった。
過去に木崎から習った『縄抜け』。
あのときは、一体どんな場面で使うのかとも思ったが、まったく技術とは無駄にならない。
自由を奪っていた拘束道具は、サッカーボールが山積みにされた籠の前に、ぺたりと這い蹲っている。
しかし、動けるから言って、いつまでも膠着状態が続くとも思えなかった。
ただでさえゲーム開始から仁志のファンの相手をし続けて来たのだ。
疲弊していた体に追い討ちをかける、出口のないフィールドでの攻防戦は、いくら相手がドラッグの作用でふらついていようとも、圧倒的に不利。
今はどうにかやりすごせても、そう遠くない未来、捕らえられるのは確実である。
苦しそうに呼吸を続ける男と対峙したまま、薄汚れた眼鏡の内側で瞳を動かした。
身の安全を確保するのに必死で、自分がどこにいるのかも把握出来ていなかったが、どうやらここは体育倉庫のようだった。
先ほどのサッカーボールを始め、体育で使用する様々な用具が、奥の方に見える。
どこか脱出可能なところはないかと目を彷徨わせるも、明り取りのために作られた小さな窓が、壁の天井間近に等間隔で並んでいるだけで、脱出経路としては役に立たない。
絶望的な気持ちで背後の扉を、後ろ手で開けようと試みたが、当然ながら鍵がかかって開くはずもなく。
自分のピンチを再確認する結果に終わった。
「イジメに薬なんて使うなよ……」
零した文句には、切実な色が滲んでいた。
平時ならば誰にも相手にされない『根暗な転校生』が、貞操の危機に瀕しているだなんて、冗談にもならない。
いっそインサニティを服用した者同士で、どうこうなってくれればいいものを。
薄暗がりの中でも、こちらを狙う生徒のシルエットが、自分よりもずっと長身なものばかりであるくらいは判別出来る。
大柄な生徒の中に、突然華奢な光が現れたのならば、欠片ばかりの理性が組み敷きやすい方へと欲の矛先を向けさせるのは自明の理だ。
なんだってデカイ図体した奴らばかりが、セックスドラッグを飲んで自分を待ち構えているんだか。
学院での嫌がらせには、標的の心を壊すためにえげつない手段が取られると聞いてはいたが、インサニティだなんて代物を使わなければ犯す気にもなれないのなら、無理などしてくれなくていいのに。
寧ろ、喜んで辞退させてもらいたい。
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