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騒々しい地上と異なり、人気のないビルの屋上は緊迫した静けさに満ちていた。
腰の高さまでしかない鉄柵ギリギリまで追い詰められた少年と、それを一定の距離を取って囲む集団。
絶体絶命の見本のような構図に、集団の少年たちは余裕の笑みを浮かべていた。
「もう後がねぇな、後藤」
カランッと響いたのは、床を擦った金属バッド。
先に起こる袋叩きを予感させる不吉な音色は、真っ暗に濁った空に吸い込まれる。
後藤と呼ばれた追い詰められた少年こそ、街で勢力を二分する少年チームの、片割れを率いるヘッドなのだが、恐怖からか逃げる最中からこちら一言も声を出していない。
どころか、トレードマークのキャップ頭をじっと俯かせている。
その臆病ぶりに、一対複数の卑怯を棚に上げた少年たちは、腹を抱えて笑い出した。
「なにっ、ビビッてんの?いつもみたいに、威勢よく吼えてみろよっ!」
「お前がヘッドとか、何かの間違いなんじゃねぇ?」
勝利を確信した者特有の、嘲笑が辺りに響く。
心地よい夜の空気が破壊され、不快指数が一気に跳ね上ったとき。
「軽い頭にもう少し詰め物してから、言葉話せよ……サルくん」
落とされた台詞に、木霊していた笑いがピタリと止んで、人垣の顔が一様に豹変した。
「あぁ?てめぇ……今、なんつった?」
リーダー格なのか、全員の心境を代弁して恫喝した男は、立場をまるで理解していないとしか思えぬ発言をかました後藤を、鋭い一重で睨み付けた。
自殺志願者ならばいざ知れず、さっきまで恐ろしさのあまり話すことも出来ずにいた人物が、口にするはずのない一言は、しかし空耳では決してなかった。
その証拠に。
「あんまり話すと、自分の知能レベルの低さを露呈することになるって、教えてやってんだよ、サル顔猿渡」
強烈な返しが、敵のヘッドに投げつけられた。
背後に従うメンバーが、怒りのあまりに一歩を踏み出そうとするのを、猿渡が軽く制す。
彼のサル顔には、怪訝な表情。
「てめぇ、誰だ?その声……後藤じゃねぇな」
探るような音色にうろたえたのは、当の本人ではなく自チームの仲間だ。
まさか、と騒ぐ様子に応じるように、『後藤』は唇をにんまりと吊り上げた。
「気付くのが遅ぇんだよっ、お山の大将っ!」
被っていたキャップを脱ぎ捨て、面を見せた少年に、一同はしばし言葉を失くした。
零れ落ちた赤い長髪が、夜風に靡いて流麗な帯を作る。
その下にある白皙の面と、対比する漆黒の瞳。
右の目尻に添えた泣きボクロがひどく妖艶で、やんわりと笑んでみせればひどく婀娜っぽい。
姿勢を正せば、ありふれたTシャツに覆われた体はしなやかで、同性にも関わらず生唾を飲み込まずにはいられないほど魅惑的であった。
「はっ、キザキじゃねぇか……まさかお前が後藤のフリしてるとはな」
「このキャップ被ってる人間は、誰でも後藤だと思ってんのか?単細胞は楽でいいねぇ」
派手な容姿の少年に当てられたのか、猿渡は上擦った調子で相手の名前を口にしたが、寄越された言葉にすぐに頬を強張らせた。
「最近この辺りに顔出し始めたクセに、調子乗ってんじゃねーぞ……丁度いい、テメェがボコにされりゃあ、後藤も出てくんだろ」
「だぁから、サルはあんま喋んなって言ってんだろ?あ、やっぱり言葉分かんないとか?」
サルだから仕方ないか、と一人納得するキザキは気負った様子もなく相手を挑発するが、再度考えなくとも状況は何一つ変わっていないと理解出来るはず。
追い込まれた彼に味方はおらず、逃げ場のない屋上にたった一人敵の群れと対峙して。
悪戯に敵を怒らせるだけ、自分の死期を早めていると気付いているのだろうか。
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