二度目。
人の気配を感じ、光は鈍い動きで目蓋を上げた。
ずっと閉ざしていたせいか、視界がぼやけて数度瞬きを繰り返す。
薄暗い室内は不明瞭で、未だぼんやりとした頭では現状を捉えることも出来ない。
ひどくのんびりと瞳を廻らせたあと、一体何が起こったのだろうかと、普段よりも格段に遅い思考回路を起動させた。
そうして唐突に理解した。
気を失う直前の出来事が、怒涛のように蘇りフラッシュバック。
ハッと意識を正すと、眼前の光景は急速に輪郭を持ち始めた。
無意識の最中でも感じ取っていた気配の発生源は合計三人。
壁に凭れて何とか立っている生徒が二人、もう一人は床に座り込んで顔を俯かせている。
もしや自分と同じように誰かに拉致でもされたのだろうか。
過ぎった懸念は、回復した五感によって棄却された。
「……っ!?」
鼓膜を打ったのは、彼らから吐き出される荒い呼吸音。
まるで全力疾走を終えたばかりのように、肩を上下させ肺に酸素を送っている。
明らかに異常だ。
しかし、光が息を呑んだのは、これが理由ではなかった。
「甘い……」
甘い、香り。
口の中で零せば、虚空を満たす臭気がぐっと強くなった。
溺れそうなほどに深く濃厚なそれは、蠱惑的な雰囲気を室内に垂れ込めさせる。
視認出来るのではと思わせる香りに鼻腔を刺激された少年は、記憶にあるものとそれが同じ匂いであることに気付いたのだ。
―――インサニティ
サンプルとして嗅いだものよりもずっと強い甘さは、凶悪な笑い声を響かせているようで。
眼前の男たちが赤い錠剤を服用したのは、疑いようもない。
突きつけられた事実に暫時呆然としていた光は、背後から聞こえたガチャガチャと言う施錠音にギクリと肩を揺らした。
不味い、閉じ込められる。
誰がどのような意図を持って、こんな真似をしでかしたのかは分からない。
ただ明らかに悪い方向へ流れる事態を、止めなければ。
立ち上がろうとした少年は、そのまま床に倒れこみ、華奢な四肢を強かにぶつけた。
「いっつ……」
衝撃に顔を歪めてから、気付いて息を呑む。
両手首、両足首にぐるりと巻きついたロープに、怒りよりも焦燥が溢れ出した。
思わず見やった視界の中で、物音で意識を取り戻した生徒が一人、ゆっくりと顔を上げて。
焦点の定まらない欲にまみれた眼が、ぶつかった。
「有り得ない……冗談だろ?」
インサニティは、高校生の間で主にセックスドラッグとして使われる。
服用後十分以内に効果は現れ、外部からの刺激がなくとも強い催淫作用を及ぼす代物。
潜入前に叩き込んだ資料内容が、ここぞとばかりに脳内で氾濫を起こしたが、だからなんだ。
知っていようがいまいが、今この瞬間に何の関係がある。
一人の後に続くように、残りの二人もふらり。
まるで幽鬼のような動きで立ち上がる。
「はっ……はっ……」
断続的な呼吸が鼓膜を塞ぎ、息苦しいまでの甘さが逃げ場を奪う。
乾いた笑いも失敗して、ついに光の面から虚勢の余裕も消え失せた。
理性をなくした生徒が三人。
身体の自由をロープが阻む。
背後の扉は施錠済み。
「絶対絶命、再び……とか?」
落とした台詞は、甘い海に呑まれて行った。
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