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SIDE:歌音
「蹴り飛ばしたな……」
「うん……蹴り飛ばしたね」
逸見に同意した歌音が、一瞬前に目にしたのは、自分を捕まえようと腕を伸ばした少年が、仁志の強烈な蹴りによって吹き飛ばされて行く光景であった。
林立する木々のせいで視界はすこぶる悪いが、どうやら直線状に何か別の標的を見つけたらしい。
弾丸代わりにされた生徒は、よくて骨折だろうか。
苛烈な攻撃を仕掛けた後輩は、すでに綾瀬の元へと走っていったので、残された二人は誰の目もない林の中に置き去り状態である。
「僕たちも早く行こうか、逸見」
「歌音」
すでに助け出されてはいるだろうが、やはり残して来た身としては心配だ。
傍らの友人を見上げた歌音は、高い位置からこちらを見下ろす眼鏡の瞳に、ドキリとした。
常から真面目な男だが、今はそこに別の感情も混在している逸見の眼は、怖いほどに真っ直ぐこちらを射抜く。
綾瀬に言われるまま懸命に逃げ出した歌音ではあったが、運動神経はあまりよくない。
すぐに追いつかれ捕まりそうになったとき、現れたのは逸見、続いて仁志。
そして後はこの通りである。
迫る危機は過ぎ去ったはずなのに、不思議と全身に力が入ってしまう。
縫い止められたように足が動かなければ、ひたりと見据える相手の双眸に、視線も動かせなかった。
「どうしてこんなところにいた」
逸見の押し殺したような低音に、喉が干上がる。
一言で分かった。
いいや、本当は顔を見たときから気付いていた。
彼との関係はそれほどに長いのだ。
昔からの友人は、今。
怒っているのだ。
歌音に?自分に?吹き飛ばされて行った少年?
恐らくそのすべて。
どこから見られていたのかは判然としないけれど、事の次第を訊いて来るのだから、決定的な場面は見られていないに違いない。
だとすれば、言えない。
「ゴメンね」
ぎこちなさを気取られぬように、微笑を贈る。
だが、対面の男は苛立たしそうに眉を寄せた。
冷静な逸見にしては珍し過ぎる反応に、自分の取っている行動の罪深さを思い知ったが、真実を語るわけにはいかなかった。
「俺は謝罪が欲しいとは言ってない。何故、こんな人気のない林なんかに入ったんだ。ただでさえイベントで浮かれる馬鹿がいるんだ、危険過ぎる」
「うん、少し熱さにやられちゃったから、木陰で休もうと思ったんだよ」
「こんな奥まで来る必要があったのか?仁志の勘に従っていたからよかったものの、もし俺たちが間に合わなければ、どうなっていたか分からないんだぞ」
「そうだね、迷惑をかけちゃってごめん」
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