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SIDE:穂積
迫る仕事の休憩にと、生徒会室を抜けて弓道場に赴いた。
生徒会役員はその膨大な責務のために授業免除の特典があるので、出席の心配もいらない。
定期テストできちんと成果を出せば、例え一度も授業に参加しなくとも、文句を言われることはおろか、留年することもなかった。
毎月やって来る行事や雑務、ドラッグの調査など、穂積の頭を埋め尽くす案件は山ほどある。
普段は理路整然と並んでいる思考も、時にはごちゃごちゃと混ざり合って、色を乗せすぎたパレットのようになることもあるのだ。
そんなとき、幼い頃から嗜む弓道は丁度いい。
ばらばらに弾け飛んでしまいそうな脳内を、すっと冷静にしてくれる。
己の呼吸を身体全体に廻らせて、極限まで研ぎ澄まされた意識を矢の先に注ぎ込めば、煩わしい日常の出来事が消え去ってしまう。
終えた後に残るのは、落ち着いた静かな心。
絡まり合っていた糸がするりと解けて、一本の強くしなやかな絹糸が現れる。
冷静を見せた身内に満足していたとき、現れたのは自分の興味を惹いてやまない人物であった。
長谷川 光。
眼前を通過していった矢に驚く姿は、ここが弓道場であることに気付いておらず、目的地と定めていたわけではないのかと思う。
声をかければ、何故か血の気が失せたような顔で振り返る。
この季節にはより一層目障りに思える前髪と眼鏡で、彼の表情の動きはあまり分からないけれど、直観的にそう確信した。
そして、光が纏う違和感にも。
何度も会ったことがあるわけではない。
普段の光など、穂積は知らない。
けれど、木立の影から姿を見せた華奢な少年は、明らかにおかしかった。
前に見た、力強さとでも言うのだろうか。
薄っすらと、しかししっかりと帯びた生命力のようなものが、黒髪の下にある白い面の光からは、感じられなかった。
何かがあった。
まず間違いない予感。
生徒たちからの嫌がらせは、一先ず沈静化しているはずだったし、自分に二度も歯向かった彼がつまらないことを気にするとは思えなかったから、もっと大きな何かがあったに違いない。
そこまで考えて、どうして自分が潰したがっている相手を気遣っているのかと気付き、わざと軽口を叩く。
だが、穂積の中からは一向に光への思いが消えなかったのである。
絶対に認めはしないけれど、まるで。
まるで『心配』しているかのような。
「……俺も、弓やってみようかな」
「なに?」
ふっと言われた言葉に、集中が途切れた。
弓を下げて、縁に腰を下ろす少年に目を向ける。
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