◇
「もういいよ、チクられても面倒だし、コイツはボコっちゃおうよ」
「あーそうだね。柔道部ならすぐに呼べるけど」
好き勝手に光の処遇を決める少年たちの会話で、焦ったのは歌音だった。
常になく大きな声で必死に叫ぶ。
「長谷川くん、早く逃げてっ!」
「ウルサイっ!お前に発言権なんかないんだよっ」
歌音の華奢な身体が、強い力で壁に叩きつけられた。
瞬間、光の中の理性は粉砕する。
一番近くにいた少年の胸倉を掴むや、鳩尾目掛けて膝をめり込ませた。。
「はっ……っあ……っ!」
「えっ!?」
妙な奇声と胃液を溢しながら倒れこんだ仲間に、歌音をいたぶることに集中していた生徒たちに動揺が走る。
自分たちの方が身長は低いものの、数を鑑みれば勝てないはずがないと思っていたのだ。
見るからに冴えない転校生の暴挙に脳が付いて行かない。
「ちょっと、何っ!?」
中心格の生徒は目の前の危険に、オレンジの標的から手を離す。
彼の目は光に釘付けだ。
面に浮かぶ色は紛れもない恐怖で、彼らはすでに捕食される側に立ち位置を変えていた。
多数の人間で弱者を虐げることには慣れていても、喧嘩は違ったらしい。
光が一歩距離を詰めるだけで、彼らはビクリと身を竦めた。
小動物を追い詰めている錯覚に陥ってしまう。
こうなると弾け飛んでいたタガは蘇るしかない。
頭に上っていた血が急速に引いていく感覚に、光は嘆息した。
「大人しく最初から離せよな」
足元に蹲る生徒を無理やり引っ張り上げ、少年たちへと突き飛ばす。
犬を追い払うように手で促せば、彼らは脱兎の如く走り去った。
光に腹をやられた生徒も、よたよたとどうにか仲間に遅れずに済んだ。
何て情けない。
消えた方向をしばし呆れた目で見ていたが、すぐに視線を戻した。
暢気に見送っている場合じゃない。
「大丈夫ですか、歌音先輩」
「あ、う、うん……驚いた」
「え?」
「長谷川くん、喧嘩強いんだね」
腰を抜かしたように座り込んでいた歌音を優しく助け起こした光は、相手の言葉に苦笑する。
今のは単に敵が弱すぎただけだ。
あの様子ではまともに殴り合いをした事もないだろう。
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