夜の演目である『七宵御伽』を、観客席の最後列で椅子に座ることもなく、立ったまま見ている人物。

人目を惹いてやまないであろう容姿でありながら、まるで壁に同化をするようひっそりと、こちらを見つめる視線に気がついたのは、すぐだ。

一心に注がれる眼は他の客と変わらぬはずなのに、何故か彼のものだけ強く意識を傾けてしまい、いつも鼓動が駆け足になるのが不思議だった。

演技の最中に盗み見る男は、いつだって真剣な表情で佇んでいたから、こうして心を感じさせる表情の変化は初めて見た。

正体不明の動悸に戸惑ってしまう。

仁志の様子を一通り確認し終えた木崎が、顔をあげた。

「そりゃ、ご親切にどうも。首筋に手刀ってところか。アキを気絶させるなんて、いい腕してる」
「護身程度だ」
「盗賊に襲われても平気なレベルの護身だろ?あぁ、これならしばらく休ませれば起きるな。逸見、運んでくれるか?」

出入り口のところで待機していた男は、眼鏡の下の面に嫌味な笑顔をこしらえた。

「私一人に押し付けるつもりですか?意識のない大の男がどれだけ重いか、座長、ご自分で体感されてはどうでしょう」
「こいつは肩に担いで来ただろっ」
「生憎、私は体力自慢なわけでもなければ、この場にかっこつけたい相手もいないんです」
「あー、まぁ、そうだな。俺も一人で運べって言われたらしんどいが……」

こちらを振り返った木崎に、千影は彼が渋る理由を察して、慌てて口を開いた。

「俺なら大丈夫。傷も痛まないし、仁志を運んでやって」
「けどな、千影―――」
「この人とは、知り合いだから」

咄嗟に口を突いた言葉に、木崎だけでなく逸見まで訝しげな顔だ。

それでももう一度繰り返し、少々強引に納得をさせる。

「知り合いなら、まぁいいが……。何かあれば言えな?」
「うん」
「よし。逸見、お前そっちの肩持て」

両脇から仁志を支えて、彼らは垂れ布の向こうへと姿を消した。

部屋に訪れたのは、僅かな沈黙。

連日、踊りを観に来てくれているからと言っても、この向かいに立つ男について、少年は何一つ知らない。

そんなことは相手も承知しているだろうに、「知り合い」という言葉を否定されなかったことに若干の驚きがある。

不自然なほどに強い緊張と気まずさに苛まれ、委縮している己を叱咤しつつ、唇を動かそうとした。

「傷は平気なのか」
「あ、はい。そんなに深くありませんから」
「だが、随分な力で投げつけられただろう。脳震盪を起こさなくてよかった」
「どうも……」

先手を取られてしまった。

男は寝台に座る少年へ手を伸ばすと、優しい茶色の前髪をかき上げて、額に巻かれた包帯を露わにした。

途端、柳眉が険しく寄せられる。

基の作りが整っているだけに、そんな表情さえも美しい。

「あの」
「なんだ、傷が痛んだか?」
「いえ、そうじゃなくて。貴方のお名前を聞いてもいいですか?夜の、『七宵御伽』を毎晩観に来てくれていますよね」
「……」

僅かに目を見張り、彼は沈黙をした。

まさか、気づかれていないとでも思ったのだろうか。

あれほど強い視線でこちらを貫いておきながら?

無理な話だ。

それに、千影の方もまた、彼の姿を舞台の上から探してしまっていたのだ。

呆然とした様子の男に、するりと緊張が解れて行くのが分かって、頬を緩めた。

「すいません。人に尋ねる前に俺から名乗るべきでした。俺は、「シェヘラザード」の踊り子をやっている―――」
「千影だろう。知っている」
「あ……」

よく馴染んだフレーズのように彼が紡いだ己の名前。

せっかく治まりかけていたのに、再び脈が走り出す。

「口上の男が日に何度も言うだろう?店の外まで聞こえているぞ」
「それ、嫌味ですか」
「事実だ」
「……もういいです。それで、貴方の名前は?貴方だけ俺の名前を知っているのは、不公平ですよ」

無茶苦茶だ。

そんなことを言ってしまったら、千影は店に来る客全員に、名前を聞いて回らなければならない。

だが、男は小さく笑うと、幾ばくかの間を置いて。

「……真昼と、そう呼べ」

与えられた彼の名前は、鼓膜から染み入るように千影の中へと落ちて行った。




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