「千影、千影ー?」
「ちょっと待って」

己を呼ぶ座長の声に、千影はテント小屋の己の部屋から応答を返した。

布で仕切られただけの簡素な造りのため、さして大声を出さずとも相手へ声は届く。

寝台の上から起き上がり、布を捲って顔を出すと、予想通り座長である木崎 武文が立っていた。

額に鮮やかな布を巻いた色男は、千影の姿に首を傾げた。

「なんだ、まだ準備してないのか?アキはもう支度して、剣の具合みてたぞ」
「もうそんな時間か。ごめん、何か話しあるなら着替えながらでいい?」
「看板スターの生着替えなら大歓迎」

嘯いた瞬間、千影は木崎の首元に小ぶりの曲刀を突き付けた。

ひゅっと空気を裂いた素早い攻撃だが、相手は慌てる素振りもなく、余裕たっぷりに口角を持ち上げた。

人差し指一本で、刃を押しのける。

「調子いいな。今日の剣武は期待できそうだ」
「それは仁志次第だろ。あいつ時々力込め過ぎるんだよ」

小道具の剣を二振り座長に押し付け、千影も戯れを終わらせて衣装へと着替え始めた。

旅芸人一座「シェヘラザード」がこの熱砂の街に巡業に来たのは、四日前からである。

王の生誕祭により、連日祭りが催されていることもあって、客の入りは上々。

街の中央広場に見世物小屋のテントを張って、昼夜問わず様々な演目を披露しては祭りを更に賑わせていた。

「それで、話しってなんだよ」
「ん、あぁ。実は他所の店からクレームが来てるんだ」
「クレーム?」

緩めのデザインを足首で締めたズボンに腰布を巻きつつ、少年は不穏な単語に片眉を持ち上げた。

銀の鈴がついた飾り紐を上から更に巻きつける。

「いや、違うな。クレームなんて正面きってのもんじゃない。要は嫌がらせだ」
「あっさり言うなよな……」
「言葉選ぶ意味もないくらいなんだって。ほら、お前へのファンレターだ」

化粧台の上に投げられたカードは、悪意から生まれたような墨色だ。

着替えを中断して、白い文字で綴られたメッセージを読み上げる。

「『七宵御伽を中止しろ。さもなくば踊り子の命の保証はない』……これって」
「定型文でもあるのかって思うくらいの、脅迫常套句だろ?うちに客持っていかれた他所の一座か何かが、やっかんでるんだろうな」
「……武文、ここの権利買うのにまた無茶したんだろ」
「人聞き悪いこと言うな。役人との交渉は逸見の担当。俺はあいつに「中央広場の権利を買って来てくれ」って頼んだだけだ」
「その前か後に、お前なら出来るだろ?とか言わなかった?」

じっとりと見やれば、木崎はわざとらしく視線を逃がした。

やはりと言ったところか。

溜息を吐きつつ髪に櫛を通す。

どこの街でも、商売をするには役所から権利を購入する必要がある。

「シェヘラザード」がこの街に来たのは、祭りの前日。

メインストリートが目と鼻の先にある中央広場の権利が、残っているはずがない。

どのような手段を用いたのか、千影に推測することは出来ないが、大方あの策士が強引且つ悪質な合法手段で買い取ったに違いない。

広場は見世物小屋が構えられるほどの敷地面積だ。

別の場所に移動することを余議なくされた店は、一つや二つではないかもしれない。

好立地を奪われた上、その略奪者の店が大繁盛となれば、脅迫状くらい出したくもなる。

「踊っていて、気になる客とかはいなかったか?」
「っ……」

不意に問われた言葉に、支度を終えた少年は鼓動を跳ねさせた。

細い身体の中心で、存在を主張し始めた心臓を押さえこみ、どうにか平静を保った。

「別に、特には」
「……そうか?ならいいが、油断はするなよ。直接的に何か仕掛けて来る可能性は低いだろうが、しばらくは十分気をつけろ。向こうはうちの稼ぎ頭のお前を、ご指名なんだからな」
「分かった」

瞬きの間、座長の目に浮かんだ鋭い光りは、千影が気づく前に消えた。

舞台の方から、開幕を告げる楽の音が流れて来る。

「お、もう定刻か。今日は三番手だったか、頑張れよ」
「うん、ありがとう」

預けていた二振りの曲刀を受け取って、千影は控室も兼ねている己の部屋を後にした。

己の動揺を上手く誤魔化せたことに、安堵しながら。




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