◆
SIDE:仁志
大広間の主催者席で、人目も憚らず寄り添う二人の人物を、彼は壁際から眺めていた。
男の手に髪を撫でられ、しかめっ面を作っている友人が、心内では喜んでいることくらい簡単に分かる。
それくらい、仁志は千影の近い場所にいた。
千影との強い絆を有していた。
なのに。
己は友人の幸福を破壊してしまうところだった。
先走った勘違いによって激昂し、我を忘れて刃を振り回した。
投げたナイフの軌道も、千影を庇って倒れた男のことも、逸見と呼ばれる執事に取り押さえられたことも。
正気に返るやすべてが思い出されて、死にそうになる。
大切な友人の幸せを刈り取ろうとした自分の、何て愚かなことだろう。
何て罪深きことだろう。
すぐに千影や彼の愛した男に謝罪をすると、彼らは揃って許してくれたが、それでも仁志は己自身を許すことが出来ない。
結果として失われたものが何もなくとも、失う危険を招いたのは仁志なのだ。
千影の幸福を願うはずが、対極の行動を取ってしまったのは仁志なのだ。
後悔に沈み喉が詰まる。
着慣れない礼装の首元に指をかけ、息苦しさを緩和させた。
「楽しくない?」
「っ!?」
不意に傍らから差し出されたのは、シャンパングラスだった。
琥珀色の中に小さな泡がぱちぱちと遊んでいる。
差し出した相手は、この城の執事長を務める綾瀬 滸という男である。
彼もまた瑠璃の仮面が消え、猫耳も尻尾もなくなり真実の姿に戻ったのだが、それについて仁志は詳しく知らない。
「どうぞ」
「……どうも」
にっこりと笑顔で促され、怪訝な思いを抱きながらも受け取ると、綾瀬は仁志の隣りに並んだ。
緊張が走るのも致し方ない。
城主である真昼は、国の王族である穂積家嫡男にして、綾瀬の幼馴染だと言う。
とんでもない相手に刃を向けてしまった事実は元より、千影や真昼個人に対してだけでなく、綾瀬にもまた謝罪をしなければならないのだから、背筋が伸びる。
何を言われても謝るのみだと心に決めて、仁志は傍らの麗人に向かって頭を下げようとした。
だが。
「ごめんなさい、はいらないよ?」
「えっ」
「すみませんでした、も。申し訳ありません、もね」
絶妙なタイミングでかけられた制止に、仁志はつんのめりそうになった。
思いもがけない言葉に思考回路がストップして、普段は眼光鋭い目をぱちぱちと瞬きする。
「今、僕の目には幸せな光景しか映っていないもの。仁志くんに謝ってもらう隙間なんて、どこにもない」
「……」
それは、謝らせてももらえないということ。
謝罪を求めない代わりに、贖罪もさせないということなのだろうか。
金髪頭の下で苦しげに表情を陰らせた仁志に、しかし綾瀬は柔らかく微笑んだ。
「言葉じゃなくて、態度で償ってもらわなくちゃ」
紅茶色の瞳には、怒りも嫌悪も侮蔑もない、ただ清い輝きが宿っている。
「笑って、仁志くん」
「っ……」
「今、キミに出来る償いは、笑ってあの二人を祝福することだよ」
悔恨に歪んだ顔など、必要ない。
自責に溺れた心など、役に立たない。
謝りたいのは仁志の気持ち。
相手が望む行動などではないのだ。
だから今は、笑って。
それが仁志に求められた、唯一つの贖罪だった。
「あ、りがとう……ございます」
「さぁ、仁志くん!二人を冷やかしに行こうか」
小さな呟きが聞こえているのかいないのか、綾瀬は楽しそうに手を出した。
その手を取って、光り溢れるホールに歩き出した男の口元には、祝福の笑み。
友の幸せを祝うのは、友人としての務めだ。
- 58 -
[*←] | [→#]
[back][bkm]