SIDE:仁志

その城は闇を具現化させたような、禍々しい姿をしていた。

沈んだ外壁には鬱蒼と蔦が絡まり、随所にあしらわれたレリーフや彫刻は悪鬼を象っている。

極端に灯りの少ない回廊には、不気味な甲冑がずらりと隊列を組んでいるから、一笑に伏したはずの魔王とやらが、出て来たとして何ら不思議ではないと考えてしまう。

真正面から突撃して行った陽動隊とは別に、仁志は一人裏手から城内へと侵入していた。

広過ぎるほどに広い内部を勘に従って進み、上階へ続く階段を二つほど上った。

意識せずとも床に敷かれた深紅の絨毯が、足音を呑みこんでくれるのが有難い。

他の自警団の面々がエントランスに注意を集めていてくれる隙に、仁志が夜盗たちの頭目を捕まえる作戦のため、忍び足をしている時間の余裕などないのである。

何かに導かれるが如く廊下を走り、気紛れに扉を空けては無人の部屋を後にする。

中々発見できぬ探し人に、もしや騒ぎを察知するや仲間を見捨てて逃げたのではないか、と疑念が過ったとき。

仁志の苛立ちを帯びた鋭い瞳は、おどろおどろしいながらも豪奢な城において、大凡似つかわしくない小さな階段を見つけた。

一般的な民家の階段よりも、少しばかり大きい程度で、周囲の造りから悪目立ちをしている。

些細な興味で足を掛けた男は、到達した黒い扉にゾクリッと寒気を覚えた。

背骨の中心を氷の手で握られたような感覚に、全身の筋肉が瞬間的に硬直した。

本能的に察知する。

いる。

ここに、「魔王」と称された夜盗の頭目はいる。

ゴクリと唾を呑みこみ、革手袋の下で汗を滲ませた掌を強く握り込んで緊張を抑えると、仁志は短く息を吐き出した。

左の手でドアノブを捻り、右の手は腰のホルダーに納めた投げナイフの一本を捉える。

細心の注意を払って無音のままに扉を開いた仁志は、廊下よりも一層暗いその部屋にぎょっとした。

目を凝らせば燭台があると分かるが、そのどれにも火は灯っておらず、そう広くもない室内には月光以外の灯りは存在しなかった。

大窓から差し込む、銀色の輝き。

光明を頼りに踏み込んだのと、深い低音が鼓膜を叩いたのは同時である。

「誰だ」
「っ……!」

ひゅっと息が詰まった。

物音一つ立てなかったと言うに、まさか気付かれるなんて。

僅かな空気の揺らぎを感じたのだとすれば、相手は相当の実力者に違いない。

侵入を察知されてしまったのなら、隠れている意味などどこにもないと、仁志は警戒を強めつつ屈めていた身を起して扉の影から出て行った。

部屋の主は、月明かりが降り注ぐ窓辺の椅子に身を据えていた。

群青色の中に白く浮かんだその姿に、思わず目を瞠る。

最初に気付いたのは、輝きを弾く銀色のマスク。

顔の上半分を覆い隠す仮面の奥から、黒々とした二つの眼がこちらを映している。

その下の露わになった肌の上を走るのは、鎖にも似た幾筋もの痣だ。

醜い軌跡は服の下にまで続いているようで、首にも刻まれていた。

「……侵入者か」

焦るでもなく呟いた唇から零れたのは、肉食獣を彷彿とさせる鋭い牙。

犬歯と呼ぶには発達し過ぎていて、人間に備わるものとは思えない。

全身を黒で装った男は、醸し出される重苦しい気迫と相まって、前情報で聞いた通りのものに見える。

すなわち、魔王だ。

まさか本当に実在していたとは、目の当たりにすることになろうとは。

打ち破られた常識に圧倒されかけた。

だが、魔王はこちらの登場に頓着せず、正体が知れたことで興味すら失った様子。

緊張で縛られていた身には、拍子抜けをしてしまう態度で、肩から力が抜ける。

捕縛しなければならないと分かっているのに、仁志は違和感を覚えて首を傾げていた。

もう少し近づいたところで、危険はないと判断し、一歩一歩と窓辺に寄って行く。

距離を詰めれば尚更、魔王の奇怪な容姿に目が走る。

艶やかな黒髪の中には二本の角、指先には怜悧な爪。

見れば見るほど人間離れしている、と考えていた男は、ふと魔王の爪に硬質な輝きを放つ何かが引っかけられていると気付いた。

それは、ペンダントチェーンのようなもの。

仰向けに開かれたその掌に置かれていたのは、小さな鍵。

どこにでもありそうな、何の変哲もないただの鍵。

しかし仁志にとっては、見慣れた、そして重要な意味を持つ鍵だった。

「それ、事務所の……」

呟きと共に脳内を駆け巡ったのは、俯いた千影の表情。

失踪から戻って来た友人は、事務所に入らず寒い屋外で自分たちの帰りを待っていた。

なぜ先に入らなかったのか、訊ねたのは木崎だ。

なくした。

そう答えた千影の表情は、明らかに異様で辛そうに眉を寄せていた。

何かを堪えるように、何かを抑えるように、苦しげな表情を偶然にも目撃してしまった。

どうして、千影の鍵がここにある。

どうして、千影の鍵を持っている。

まさか。

一つの疑念が湧き出た途端、仁志の中ですべての符号がぴたりと合った。

「てめぇっ……!」

間合い分を空けて立ち止まっていた足が、勢いよく床を蹴った。

引き抜いたナイフを振りかぶり、突然の攻撃に反応が遅れた魔王の頭上目がけて、切先を下ろした。

あれは単なる事務所の鍵というだけではない。

ようやく一人前として認められた千影が、十七歳の誕生日に木崎から貰った大切な贈り物だ。

何よりも大事な宝物だ。

千影は、失踪していたのではない。

鍵を奪われ、逃げるに逃げられなかったのである。

目の前の魔王に、囚われていたのだ。




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