軽く背中を押され、木崎の持つ鍵で事務所の中に入ると、そのまま仁志も着いて来た。

時間が時間だったが、せっかく自分のために方々探してくれたのだから、帰宅を勧めることはしなかった。

せめてものお詫びも込めて、千影はそれぞれ来客用のソファとデスクの椅子に腰を下ろした二人に、普段以上に丁寧に入れた珈琲を持って行く。

「千影、お前どうして中に入らなかったんだ?」

木崎からの不意打ちに、トレイに乗せた三客のマグの内側が波打った。

相変わらず鋭い保護者に対し、上手い嘘をつける自信はなかったものの、真実を話すにはすべてを明かす必要がある。

詰まった喉を無理やりこじ開け、千影は平静を装って答えた。

「鍵、どっかに落としちゃったみたいでさ」
「……」
「入るに入れなかったんだよ」
「……そうか」

探るような視線を感じるも、目を合わせることは出来ない。

合わせてしまえば、殺し切れない感情が浮かぶ瞳を見られてしまう。

さり気なく俯いた千影は、しかしその先で仁志の鋭い双眸に遭遇してしまった。

衝撃を面に出すのをギリギリのところで回避し、何食わぬ顔をして彼にマグを手渡した。

「はい」
「お、サンキュ。でも俺、もう行かなきゃなんねぇんだよな」
「帰るのか?」

上質の香りを漂わせるカップに早速口をつけた男は、ひらひらと手を振って否を示す。

鋭い眼光が見間違いのような、常と変わらぬ態度に肩透かしだ。

ほっと胸中だけで安堵しつつ、彼の言葉に首を傾げた。

夜も深いと言うのに、今から用事とは何だろう。

ふとフラッシュバックをしたのは、灯りの多くつけた街の光景。

駆け抜けた際に意識の端で引っ掛かった違和感が、ふつりと鎌首をもたげる。

形容しがたい胸中の窒息感に唇を引き結んだ少年へ、具体的な回答をくれたのは木崎だ。

「最近、この近辺の街が夜盗に襲われていることは知っているか?」
「……夜盗?」
「あぁ、一昨日は隣町もやられたらしい。シストでも随分と騒ぎになっていた」

外界から隔離された空間で過ごしていた内に、そんな事件が発生していたとは。

あの城にいるときは、まったくと言っていいほど外の様子が千影の耳に入ることはなかったから、夜盗の件など初耳だ。

「先日、その夜盗のアジトが見つかった」
「近隣の自警団と協力して、夜盗討伐をすることになったんだよ。これから」
「え?これから?」
「あぁ、結構前から討伐に乗り出す話は決まってたんだ。けど、肝心のアジトが分からなくて、おっさんに依頼しようと思ったんだよ」

木崎の説明を引き継いだ仁志の言葉に、シストへ向かった日のことを思い出す。

出がけに事務所にやって来た彼は、確かに木崎へ依頼をしたいと言っていたが、夜盗のことだったのか。

たった今、街に戻って来た千影にとっては急な討伐だが、仁志や街の人間たちにとっては、ようやくといったところなのだろう。

千影は自分の分の珈琲を手に、仁志の隣りへと腰を下ろそうとした。

「気をつけて行けよ。で、そのアジトってどこなんだ?」
「おぉ。街出てすぐに森があんだろ?北西に向かってずっと行った先に、城があんだよ。どうやら夜盗はそこに隠れてるって」
「え……」
「おっさんがいなかったから、別の奴に依頼をしたんだけどよ、そいつから上がって来た報告によれば、その城には魔王が棲みついていて、夜盗も魔王の手下らしんだと」

流石に魔王はねぇよなぁ、と笑う仁志に同調することは出来なかった。

反対にみるみる血の気が引いて行く。

千影の脳内は二つのワードで占拠されていた。

逸見に送り届けてもらったときに気がついたことだが、「彼」の城も街から北西に進んだ森の中に建っていた。

「彼」を最初に目にした瞬間、思わず口をついて出たのは「魔王」という呼び名だった。

まさか、彼らが夜盗だったというのか。

信じられない。

動揺で湧き立つ思考に気付いた少年は、目をぎゅっと瞑った。

落ち着け。

ここで取り乱してどうする。

冷静に考えれば分かることではないか。

彼らが夜盗などするわけがない。

そんな素振りは少しも見受けられなかったし、綾瀬たちが悪事に手を染めているとは到底思えない。

犯罪者と疑われている面々と、決して短くはない時を過ごした千影は確信できる。

誰かに罪を擦り付けられているのだと。

だが、それは誰だ。

千影とて吹雪で迷ったからこそ辿りついた城の存在を、どうして知っている。

狼が彷徨う森の奥深くへ踏み入るなど、常識的に考えればあり得ない。

なぜ城があり、そこには魔王染みた容姿の男がいると、知っているのだ。

厳しい顔つきで考え込む千影の横で、仁志が立ち上がった。

「じゃ、そろそろ集合時間だから、俺行くわ」
「え?あ、ちょっと待てよ、仁志!」
「あぁ?マジで時間ねぇんだって、少しゆっくりし過ぎたわ」
「違うんだって!間違っているんだよっ」
「はぁ?話なら明日聞いてやるから。お前はもう寝ろっ」

こっちに取り合う余裕もないのか、仁志はビシッと言い捨てるや事務所を出て行ってしまった。

不味い。

悠長に考えを廻らせている場合ではなかった。

彼らは討伐に行くと言っているのだ。

濡れ衣を着せられている人々を、捕まえようとしているのだ。

「千影」

慌てて友人の後を追いかけようとした少年を呼び止めたのは、事の成り行きを冷静に傍観していた木崎である。

「お前、どこに行くつもりだ」
「っ……」

落ち着き払った様子で彼はデスクから離れると、静かに千影の前に立つ。

高い位置から落とされる視線に、先刻目にしたあの寂しげな光りが重なった。

彼は気付いているのかもしれない。

千影がこの事務所以外に、居場所を見つけたことに。

保護者の手から飛び立ち、自由な意志で求める先があることに。

常に傍にいてくれた木崎ほど、千影を理解している存在はいない。

自分でも気付かぬ些細な変化さえ、眼前の男は見過ごさないのだから、少年の中に芽生えた大きな感情を察知していないとは思えなかった。

すべてを打ち明けてしまいたいけれど、彼もまた真昼たちを夜盗だと勘違いしているならば、余計な心配をかけてしまう。

突然の失踪で迷惑をかけた直後に、心労を増やすような真似はしたくない。

何をどう言えばいいのか。

どこまでを話すのが正解なのか。

逡巡する千影は、不意に伸びた木崎の手によって抱き寄せられた。

緩く包み込まれて、困惑する。

「武文……?」
「さっき言っただろ。次にどこかに行くときは、俺に言えって」
「あ……」

優しい声音に、ハッとした。

言葉通りに受け取ってしまっていたけれど、まさか。

「お前が望む場所があるなら、そこに行けばいい。けどな、俺だってお前のことが心配なんだ。どこに行こうと止めないから、俺には言ってくれ」

やはりそうだ。

離れていた間に千影に起こった確かな変化。

気がついていたからこその、セリフだったのだ。

何よりも千影の意志を尊重し、千影の心が赴くままにすればいいと。

長い時間をかけて、胸の中にたっぷりと蓄積された木崎からの想いに、込み上げて来たのは切なさと感謝。

受け取った心に頬を綻ばせながら、そっと彼の胸を押して身を離した。

躊躇いも罪悪感もない、晴れやかな表情で相手を見上げる。

木崎はやはり、いつもと同じ平然とした面持ちだったけれど、あたたかく少し湿った優しさが滲んでいた。

「俺……行く」
「あぁ」
「守りたい人がいるんだ」
「そうか」
「ずっと傍にいたい人が、出来たんだ」
「ムカつくな」

嘯くと言うよりは、本気で腹立たしく思っている低音に苦笑が漏れた。

「武文」
「ん?」
「俺、好きな人のところに行って来る」

自然と出て来た言葉は、何の違和感もなくストンッと少年の中に当てはまる。

明らかになった感情の正体に、じわじわと充足感が広がって行く。

千影は、好きな人の元に。

真昼の元に、行くのだ。

「あぁ、行って来い」

木崎の声を背中で聞いて、少年は勢いよく扉を開けた。




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