◇
ダンダンダンッ。
扉を叩き続けるも、事務所の中からは物音一つ聞こえない。
普段ならば鍵を使ってさっさと入っているところだが、今はそれも出来ない。
誰もいないのだろうか。
魔法の鏡で見たときから、いくらか時間は経っているけれど、まだ自分の捜索を続けている可能性もある。
不安と焦燥のままに、派手な舌打ちを落とした。
逸見の先導する馬車に送られ、千影は街へと帰りついていた。
随分と懐かしく感じたのは、城での生活に馴染んでいたからかもしれない。
だが、事務所までの道すがら、奇妙な感覚に陥ったのはそれだけが原因ではなかった。
時計の針は間もなく新しい一日を示す。
それなのに灯りのついたままの家が随分と多く見受けられ、珍しく街全体が起きているのだ。
原因の分からぬ胸騒ぎに駆られ、息を弾ませながら事務所の扉を叩いた次第である。
嫌な予感がする。
早く保護者や友人に無事であることを知らせたい。
そうしてすぐに、あの城へ戻りたかった。
魔王の棲む城へ。
下手に木崎たちを探して行き違いになる訳にも行かず、少年はずるずると扉を背にして座り込むと、凍える気温など知らぬように目蓋を閉じた。
暗闇に浮かびあがるのは、数刻前の記憶だ。
彼らは気付いただろうか。
千影が意図的に残した忘れ物に。
釈放を言い渡されたものの、アレさえあれば少年は再び城を訪れることが出来る。
忘れ物を取りに来たと言って、彼を訪ねることが出来る。
口実さえあれば、後は真剣勝負だ。
また暫く、城に置いて欲しい。
それが駄目なら、時折遊びに来させて欲しい。
千影は直訴するつもりだった。
あれほど望んでいた釈放が叶ったと言うに、自らまた門を潜りたいなんて。
何故か。
理由など千影には分からない。
突き詰めようとすると、何かとんでもないものに行き当たりそうで、今一つ自分の心に踏み込めない。
かと言って何も知らない、分からないわけでもなかった。
はっきりとした想いは確かにある。
真昼の隣りにいたい。
それだけは、間違いなかった。
「千影っ!?」
「え?あ、仁志!」
物思いに沈んでいた少年は、呼ばれた己の名に意識を浮上させた。
直面するのは久しぶりの金髪頭の下で、シャープに整った顔が驚愕に彩られる。
駆け寄って来た友人に、千影は雪を払いつつ立ち上がった。
「てめぇっ、何やってんだよ!」
「ごめん」
「どこ行って……あー、違ぇ。そうじゃなくって……おいオッサン!千影!見つかった!!」
厩舎に向かって大声を出すと、馬の嘶きが夜を打ち抜いた。
ガタガタッと不穏な音と共に猛然と出て来たのは、木崎だ。
こちらを捉えた彼の眼が、信じられぬものを前にしたように瞠られる。
「千影……」
「武文。その、ただいま」
居た堪れない気持ちからポツリと零す少年に、保護者は寸前までの慌てぶりとは打って変わった、ゆっくりとした足取りで歩み寄る。
男の纏った常とは異なる硬質な雰囲気に、威圧感さえ覚える。
思わず俯きかけた面を、ぎりぎりのところで正面に戻すと、相手の真剣な表情がすぐ傍にあった。
彼らにかけた迷惑は、千影の我儘が原因だ。
罪悪感で押し潰されそうだとしても、目を逸らしてはならない。
「武文、仁志」
「……」
「心配をかけて、本当にすいませんでした」
深く腰を折って告げるのは、心からの謝罪。
現実を放棄し思考を止めた千影を、懸命に捜索してくれた二人に、万感を込めた謝罪を告げる。
少年の言葉は、足元に敷かれた雪の絨毯に吸い込まれ消えて行く。
シンッと周囲が時刻に見合った静けさに浸されても、頭は上げなかった。
軽い衝撃を後頭部に感じるのは、数拍の後。
弾かれるように顔を上げれば、月光を背に受けた木崎が、複雑な表情で頭を撫でていた。
サラリと指で梳かれる感触に、張り詰めていた気持ちが緩みそうだ。
「武文?」
「……帰って来てくれたなら、それでいい」
微笑みを浮かべているのは口元ばかりで、彼は苦しげに眉を寄せている。
ぶつかった眼には寂しげな色が窺えて、ツキリと尖った痛みが少年の弱い個所に刺さった。
「……ごめんなさい」
「心配したぞ。依頼から帰って来たら、留守番しているはずのお前がいないんだ」
「ごめん」
「アキに話聞いたら、随分前にシストに行ったって言うし」
「……」
ついと離れた位置の友人を見れば、肩を竦められる。
「まさか、まだ戻ってないとは思わねぇだろ……。おっさんからお前の行方聞かれて、本気でビビった」
「悪い。迷惑かけた」
「アホ、迷惑じゃねぇよ。さっき自分で言っただろ」
「……心配かけた」
「そっちだ、そっち」
呆れたような嘆息は、優しい。
未だに頭から動かぬ木崎の手が、千影の滑らかな髪を滑り、片頬を包んだ。
身を屈めて瞳を覗き込まれ、仁志から意識を離して促されるままに視線を結ぶ。
甘く微笑む木崎から感じられたのは、やはり安堵と同じだけの寂寥感だった。
「次にどこかへ行くときは、ちゃんと行く先を教えてくれ」
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