終幕は幸せとともに。




SIDE:野獣

灯りのない西の塔。

部屋を満たす群青色よりも尚深い闇色は、身動ぎもせず窓辺に立ち尽くす。

眼下に広がる禍々しき森は、積もり積もった雪で純白に埋没している。

「逸見くんが、戻って来たよ。無事に送り届けたって」
「……そうか」
「あと、これ。千影くんの部屋に置いてあった、忘れ物」
「……」
「見ないの?」
「そこに置いておけ」

背中にぶつかった綾瀬の報告に、振り返らぬまま短く返す。

白い森の果てを探す眼を、見られたくなかった。

だが、喪失感に苛まれた意志を直視されずとも、真昼の想いは明白だ。

恋い焦がれる心が悲痛な咆哮を上げている。

広くもない城主の部屋に、声なき声が反響していた。

「どうして」
「……」
「どうして、帰してしまったの。彼を」

静かな問いかけに、答えることは出来なかった。

口を開けば何が飛び出すのか、真昼とて分からない。

無様で醜い感情が、今にも理性の鎖を引きちぎり暴走しそうなのだ。

切望するあまり歪みかけている本心を、一度でも外界に出してしまえば、取り返しはつかない。

踏みとどまらねば、容姿に見合った凶悪な存在に堕落してしまう。

「ねぇ、どうして……?」

いつも理解出来ぬくらいに明るい幼馴染の、ずしりと重い声音が響いた。

異変を感じ背後を窺った真昼は、床を蹴った綾瀬に身を強張らせた。

胸倉を両手で掴まれ、窓硝子に背中がぶつかる。

ガシャンッと、耳触りなそれが随分と遠く聞こえたのは、すぐ傍にある紅茶色の瞳のせい。

仮面の奥を貫く鋭い眼光を、初めて見た。

「どうして帰したのっ!?薔薇の期限は目前だって、分かってるんでしょうっ」
「綾、瀬……」
「彼の気持ちの変化に気付いていたくせにっ、自分の気持ちを認めていたくせにっ!なんで今、何も言わずに、言わせずに帰しちゃったんだよ!」

憤りを叩きつける綾瀬は、普段の中性的な美しさとはかけ離れていた。

悔しそうに眉を寄せ、苛烈な本音で糾弾する相手に、罪悪感が膨れ上がる。

「悪かった。薔薇が散ってしまえば、お前たちも――」
「そんなのどうだっていい!」
「なにをっ……」
「僕らのことなんて気にしなくていいんだ!キミは、キミは言えなくなるでしょうっ。薔薇が散って、永遠にこの姿のままだということが決定的になったら、千影くんに想いを伝えることを止めるでしょう!?」
「っ……!」

叫び声にも似ていた。

暴かれた男は、見開いた目で言葉を失くす。

綾瀬の言う通りだった。

薔薇は間もなく散るだろう。

そうなれば城や使用人を含め、真昼は一生醜い野獣の姿となる。

例え、千影が想いを傾けてくれたとしても、呪いが解けることはない。

完全な人外となった身で、まっとうな世界を生きる少年に想いを告げられるものか。

人前に出ることも叶わず、限られた空間で残りの長い時間を過ごすしかない、日蔭の日々。

表舞台から引き摺り落とし、共に暗い道を歩かせるなど、与えるのは苦痛ばかりだ。

何より、嫌気が差した彼が逃げ出ようとしても、真昼は認められないだろう。

それこそ魔王のように、あらゆる手段を用いて拘束し、傍に縛り付けてしまう。

残忍で傲慢な暴挙に走る未来は容易く想像できるから。

真昼は言わない。

絶対に、言えない。

「告白さえ出来ないなんて、そんなの、可哀想だ。穂積が……可哀想じゃないか」

急速に衰えた怒気と共に、襟首を掴む手が落ちる。

項垂れた姿は、雨に打たれた花のようで、苦しくなった。

「ねぇ、穂積。どうして、帰しちゃったんだ……」

全力で贈られた優しさに、不安定な心が落ち着く。

些細な衝撃で決壊しそうだった理性が引き締められて、昂ぶっていた心が切なさだけを残して凪いでいく。

胸を裂く痛みはそのままに、激情だけが消失した。

「――いるから」
「……っ」
「愛しているから、帰した。ただ、それだけだ」

風が吹き荒ぶ空虚な心の中心で、揺らぐことなく在り続けたのは、唯一つの真実だった。




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