透明な空気に満たされた夜には、無数に散らばる星の瞬きが映える。

銀色の月は姿を潜め、今宵ばかりは悠久の彼方で燃える宝石に、主役の座を譲り渡す。

連日降り注いでいた雪の心配は、いらないようだ。

踊り疲れて火照る身を外気に晒した少年は、広間から続くバルコニーの手摺に凭れかかって、天空を飾る輝きを仰いだ。

急速に冷やされて行く体温に腕を抱えると、剥き出しの双肩にそっと黒の外套がかけられた。

「上着もなしに外に出るな。風邪をひく」
「すいません、ありがとうございます」

にやけた口元を隠すために、襟を引き合わせたら、ワルツを踊っているときに嗅いだ彼の匂いがふわり。

仄かに甘い香りに抱き締められているようだ。

押し寄せる恥ずかしさを振り払うために、千影は無理やり会話の糸口を探した。

「……こんな格好、知り合いに見られたら引きこもるな」
「似合っていると言っただろう」
「そんなこと言うのは、貴方くらいです。友人が見たら指さして笑いますよ」
「友人、か」
「はい。あー、今頃なにやってんだろ」

捻り出した話題だったが、本気で気になって来た。

千影が街を出てから、相当な時間が経っている。

どの程度で木崎が戻って来るかは定かではないけれど、依頼を終えていてもおかしくない程度の期間は過ぎていた。

少なくとも、千影の失踪に気付いた仁志は騒いでいるはずだ。

大切な人たちに心配をかけているのは間違いない。

だが、無事を知らせるために一度でもこの城を出てしまえば、もう二度と足を踏み入ることは叶わないのではないかと思うと、千影の思考は鈍くなる。

何しろ己の立場は「囚人」なのだ。

自由になれるとすれば、それは脱走か釈放のどちらかしかあり得ない。

逃げ出した人間が、のこのこ舞い戻って来るなど出来ないし、釈放だって同じだ。

街に戻り保護者たちを安心させたいのも本音、ずっとこの不気味な城で魔王と過ごしたいというのも本心。

帰りたいけれど、帰りたくないから。

矛盾した思いに挟まれて、身動きが取れなくなる。

どうすればいいのか分からなくて、混乱する。

考えるのが憂鬱になり、いつまでも「今」が続けばいいと現実を投げ出しかける。

どっちつかずで優柔不断な自分に、唇を噛んだ。

「気になるのか?」
「え……」
「家が、残して来た者が、気になるんだろう」
「……」

翳った表情を覗きこまれ、黙りこくる。

気になっていると答えてしまえば、真昼と会えなくなるような気がしたのだ。

返事のない千影を、痛みを堪えるかのような面持ちで見つめていた男は、そっと右の手で宙に円を描いた。

するとどうだろう。

彼の手指に沿うように、淡い虹色を放つ輪が生まれたではないか。

驚きのあまり見開いた眼で真昼を凝視する。

「魔法の鏡と言ったところだ。お前の望む光景を映し出してくれる」

浮かび上がる輪に真昼が手を翳すと、内側がぶわんっと光り出した。

「これで確認すればいい」

促されれば、止められなかった。

彼がどう思うかなど、考える余裕もなくて、千影は自分の本音の片方に従って、鏡の前に立つ。

「武文の様子を、教えて」

保護者の名を告げると、丸く縁取られた領域にとりどりの色が滲みだした。

やがて輪郭を持った色彩は、懐かしくも馴染みのある映像を描いた。

千影の帰るべき場所、探偵事務所だ。

久方ぶりに目にする雑然とした室内に、思わず喉の奥が詰まりかけるも、二つの人影を発見すれば郷愁は吹き飛んでしまった。

鏡の中から声が聞こえる。

『じゃあ、シストには行ってないってのかよ!』
『あぁ、少なくとも依頼人のとこには顔を出していない。街の連中に片っぱしから聞いたが、誰も千影を見たやつはいなかった』

派手な金髪頭をした青年に、色男という形容詞がピタリと当てはまる男が、渋面を作って首肯する。

会話を少し聞いただけで、彼らが行方不明となった千影を探しているのは明らかだ。

木崎がすでに戻って来ていることに、一気に血の気が下がる。

『くそっ、もっと早く帰ってないことに気付いてりゃ……』
『焦るなよ。一応、シストには康介を残して来た。手掛かりが見つかれば連絡を寄越す手はずになってる。俺たちも――』
『悠長にしてんじゃねぇよ!てめぇ千影のことが心配じゃねぇのかよっ』

バンッと机を殴る激しい音が、傍観するしかない千影の頭を殴りつける。

緊迫した状況に、胸がギシリと悲鳴を上げた。

『それ、本気で言ったのか。アキ』
『っ……悪ぃ』
『気にするな、今の状況じゃ無理もないんだ。けどな、頭に血ぃ上ったままじゃ、お前まで変なことになりかねない。浮足立つなら、お前は事務所で康介の連絡待ってろ』
『行ける、問題ない。じっとしてる方が頭おかしくなるっつーの』

笑顔を作ろうとして失敗した仁志の背中を、木崎が宥めるように叩く。

千影は己の浅はかな行動を深く後悔した。

城での日々を謳歌している場合ではないと、理解していたのに。

ここにいたい、だなんて我儘のために、二人に心配をかけている。

最低だ。

鏡の中の男たちは、千影を探しに行くつもりか、コートを着込んで事務所を後にする。

街から遠く離れていようとも、時刻は変わらない。

冬の夜遅くに捜索に出るなんて、あまりに物騒。

危険を承知で彼らが動くのは、すべて千影のためだ。

命に別状はないのか、今どこにいるのか、餓えていないか怪我はないか。

あらゆる事態を懸念して、心を砕いてくれている。

自分は無事だと、問題ないと、叫んで届くものならいくらでも声を張り上げるのに。

そんな都合のいいことは起こるはずがない。

当然だ。

千影は安全であたたかく、優しい幸せの世界にいるのだから。

あぁ、心配などしないでくれ。

周囲に与える影響がどれほどのものか、感づいていながら己の欲求を優先させた、自分勝手で醜悪な人間のことなど、心配してはいけない。

大切な人たちの動揺を目の当たりにしなければ、実感を伴って理解することも出来ない、愚かで罪深い人間のことなど、心配する価値もない。

嫌悪感に捕らわれた少年の前で、無人の室内を映す鏡は、ゆっくりと冷たい空気に溶けてしまった。

吐き気がする。

気分が悪い。

身を包む外套など意味もないほど、全身が凍えていた。

「帰るといい」
「っ……」

傍らから寄越された言葉は、予想と一致していた。

魔法の鏡に映し出された映像を見て、真昼がそれを言わないわけがない。

己などとは異なり、優しい心を持った真昼ならば、それを言うくらい簡単に想定できる。

ありがとう。

帰ります。

即答しない自分自身を、軽蔑した。

一秒でも早く木崎たちに無事を伝えたいと思うのと同じくらい強く、真昼と別れるのが嫌で堪らない。

二度と会えなくなるのが恐ろしくて、頷きたくない。

「俺、俺はっ……」
「そもそもお前を閉じ込めたのは、売り言葉に買い言葉だった。お前を釈放する」

もう片方の真意を音にするより早く、決定的なワードが突きつけられてしまった。

痣の這う頬を緩めて、微笑みと共に告げられる優しい言葉。

どちらも真実の気持である少年には、抗えない。

「お前の帰りを待っているやつらがいるんだろう。安心させてやれ」
「ごめん……なさいっ」

必ず、戻って来る。

戻って来させて。

心底から願いながら、千影は真昼の元から駆け出した。




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