晩餐会らしい食事を楽しめるのは、対面に座る人物のせいだろうか。

給仕の運んで来る彩りの良い料理を味わいながら、千影は真向かいを見る。

「どうした?」
「いえ、ちょっと変な感じがして」

漆黒のタペストリーを背後に飾った主の席が、彼によって埋まることを何度願ったか。

見慣れた空席でないだけで、こんなにも嬉しいとは思わなかった。

少しばかり照れくさくて首を振る。

「なんだ、変な感じとは」
「別に大したことじゃないんです」
「なら言えるだろう」

その通りだが、言いたくない。

貴方と共に食事が出来て嬉しい、なんて。

真昼が原因とは言え、最初に拒んだのは千影なのだ。

正反対の気持ちを明かせば、自分の心の変化が直球で伝わってしまう気がして、恥ずかし過ぎる。

ふいと目をそらし、止まっていたフォークを握る手を再び動かそうとすると、ぴりぴりと皮膚を刺激する空気を感じてハッとした。

「言え。黙秘は認めない」
「た、大したことじゃないんですって……」
「判断は俺が下す」
「ムキにならないで下さいよっ、子供ですか!」

寸前までとは似ても似つかない、鋭利な眼光に本気で慄く。

食事の手を完全に止め、言うまでは退かない構えの男だが、こちらとて白状する気はない。

強い眼光で受けて立つ。

せっかく和やかな晩餐だったのに、何をしているんだか。

頭の片隅で理性が疲れた息を吐いていたとしても、ここで折れては羞恥の渦へと転落するのだから、負けられなかった。

「なぜ、そこまで頑なになる」
「言いたくないからです。貴方こそ、何でそこまで気にするんですかっ」
「悪いか」
「答えになっていません」

攻撃のつもりだった。

自分の真意を明かさぬための、口喧嘩じみた切り返し。

なのに。

「お前の話は、出来る限り聞きたいと思う」

対面の存在は、意外なくらいに真剣な表情をした。

飛んで来る返答に備えていた千影の闘志が、動揺に変換される。

「どう、して?」

零れたのは、出るべくして出た疑問符。

戸惑いが表出するのを、制することは出来なかった。

「あんな思いは、二度と御免だからな」
「え?」
「……お前の言い分に耳を貸さないで、あんな思いをするのは一度で十分だ」

憤りを押し殺すような、重い声。

抑え込まれる糾弾の矛先は、真昼自身に向けられている。

外された視線の先を追いかければ、彼は己の右腕を睨んでいた。

気付く。

優しさへのお礼を言いたくて、迷子を理由に西の塔へと踏み入った千影は、烈火の勢いで追放を命じた彼から逃げるように、吹雪の森へと飛び込んだ。

結果、狼の群れに襲われ、絶体絶命のところを助けられた。

まさか今でも負い目を感じていたなんて。

「そんな顔をするな。ただ俺が、もうお前の言葉を無視したくないだけだ」

破顔した真昼は言うけれど、自分が今どんな表情なのか分からない。

男の中に傷跡を残したあの一件を、確かに後悔しているのに、歓喜してもいる。

大切に扱われているような発言を、不謹慎にも喜んでいるのだ。

併存する矛盾した想いに、返す言葉を探す余裕もなくて、二人の間に沈黙が流れた。

楽団の演奏する極上の調べだけが、広間に響き渡る。

「……」
「……」

曲が終わり、また新しい一曲が優雅な旋律を奏で始めた。

覚えのあるテンポは、ワルツである。

いつまでも黙っていては、場の雰囲気を悪くするばかりだ。

明るい曲調に勇気づけられ、別の話題を振ろうとした。

と、対面の男が席を立った。

もしや続く沈黙に気分を害して、退室してしまうのでは。

「あ、あのっ」

こんな幕引きなんて絶対に嫌だ。

真昼を引き止めたい一心で、ろくに考えもせず腰を持ち上げた千影は、歩み寄って来た相手に目を丸くした。

出て行かれるよりはよっぽどいいが、意図が読めずに仮面を見上げる。

待っていたのは、不機嫌も苛立ちもない、凪いだ双眸。

軽い礼と共に差し出された手に、内心だけで首を傾げるよりも早く、鼓膜を揺らしたセリフがあった。

「私と、踊っていただけませんか?」
「は?」

反射で出た一音は随分と間抜けで、まるで社交界の貴公子のような、自然な調子の誘い文句を台無しにしてしまった気がする。

慌てて取り繕うとするが、最善の返答は出来なかった。

「えっと、その……すいません無理です。俺、ダンスとかやったことないです」

千影は生粋の庶民だ。

当然のように、ワルツなど踊れない。

気づまりのする場の雰囲気を変えようとしてくれたのに、申し訳ないと首を横に振るも、彼は食い下がる。

「問題ない、俺がリードする」
「ちょっとも踊れないんですよ。足、踏んじゃます」
「お前ごときに踏まれると思うか?不必要な心配をするくらいなら、俺の手を取れ」
「……俺の言葉を無視しないって言ったのは、誰でしたっけ」

寸前の主張を堂々と裏切るのは止めてくれ。

呆れた顔をしたのが分かったのか、彼は「違う」と呟いた。

「俺が聞きたいお前の言葉は、出来る出来ないじゃなく、俺と踊っても「いい」のか「いや」なのかだ」

きっぱりと言い切った男の眼は、己の発言を覆したつもりはないと告げている。

直線的な意志に、思わず笑みが滲んだ。

そうか。

質問がそこならば、答えは変わって来る。

「俺、踊れません」
「聞いた。だが、俺は――」
「でも、貴方と踊るのは嫌じゃないです」
「っ」
「喜んで、お相手させていただきます」

ふわりと微笑みながら、虚空に浮いたままの彼の手を取れば、優しくも強い力で握り返された。

流れるような動作で、ダンスホールへと誘われる。

促されるまま真昼の肩に手を添えると、腰ともう一方の手を取られた。

ゆっくりと、曲に合わせて踊り出す。

踏みこまれれば一歩下がり、下がられれば追うように踏み込み、針路はすべて彼に委ねる。

ひたりと結ばれた瞳と瞳を、面映ゆく思えど伏せる気には微塵もならない。

ステップは正しくないだろう。

傍から見れば、滑稽なだけかもしれない。

ドレスは動きにくいし、密着した身体は熱を持つ。

それなのに、安心できる。

心から楽しんでいる。

二人だけの舞踏会を、二人にしか踊れないワルツを。

加速する鼓動の理由を、誰か教えて。




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