「よく、似合っている」

耳朶を撫でた甘い囁きは、誰に向けたものだろう。

ドレスの裾に躓かぬよう、足元を注視して階段を下りていた少年は、送られた賛辞に思考を停止させた。

ピタリと身体の動きを止め、唖然とした表情で真昼を見上げる。

ずっとこちらを見つめていたかのような二つの瞳に驚きつつ、淡いルージュのひかれた唇から小さな音を出す。

「男が似合ってどうするんですか……」
「今の状況なら、悪いことではないだろう」
「それは、そうですけど」

似合わないよりはずっといい。

真昼から与えられたせっかくのチャンス。

待望の晩餐会の場で不格好だと思われるより、似合っていると思われる方がずっとマシだ。

それでもドレス姿を褒められた違和感は拭えず、曖昧な苦笑が口端に乗る。

今更なことだけれど、千影が女性の礼装をする必要などどこにもない。

むしろ常識外れの奇行だ。

本意ではないしにしろ、女装で現われたこちらが恥をかかぬようにと気遣って、真昼はフォローをしてくれたのだろう。

優しい彼ならば在り得る。

面倒な格好してしまった自分に「何をやっているんだか」と、嫌悪混じりの呆れを抱く。

ブラウンの瞳がゆるり翳ったのと、重ね合わせていた手を強く引き寄せられたのは、ほぼ同時だった。

いきなりのアクションに階段を踏み外した千影は、トンッと軽い衝撃と共に男の胸へと倒れ込む。

危なげなく受け止めた真昼の腕が、腰に回りぎょっと仮面を見上げた。

「何する―――」
「綺麗だ」
「っ……」
「信じられないのなら、何度でも言うぞ。綺麗だ、お前は美しい」

目を合わせて繰り返される言葉に、息が詰まる。

銀色のマスクの奥から覗く闇色は、少しも揺らぐことがなくて、彼が真の想いで言っているのだと悟らずにはいられない。

「お前を慮って言っていると考えるなら、見当違いだ。俺は、俺の思ったままを口にしている。綺麗だ、千影」

溺れそうだ。

賛辞の文言に込められた、溢れるほどの感情に溺れてしまう。

苦しいほどの熱に、胸の奥深い部分が沈んでいく。

綺麗なのは、貴方だ。

そう告げたいのに、喉は鳴らない。

広間の扉が開き、彼の姿を目にした瞬間に感じた気持ちを、言語として奏でることの出来ない自分が憎らしくなる。

真昼は問答無用で美しかった。

目元を隠す銀の仮面も歪な痣も常と変わらないのに、絶対的な真理の如く確然と抱いた。

纏うのは緩くサイドに流された髪と同じ、漆黒のテイルコート。

控えめな光沢を放つ上品な生地は、スティッフプザムのウイングカラーと完璧な黒白の世界を構築している。

首元のバタフライ・タイが、彼の纏う密やかな夜の気配を抑制することで、醸し出される禁欲的な危うい色香。

袖口から覗くカフリンクスの真珠、足元の艶やかなオペラパンプス、どれをとっても秀逸で一部の隙もない極上の紳士がそこにいるのだ。

あぁ、やはり彼を醜いなどとは思えない。

恐ろしいとも思えない。

例えすべてを切り裂く爪を持っていても、猛獣じみた牙を備えていても、人外を示す角があったとしても。

誰よりも美しい。

真昼の心根に触れた千影には、内側から発される燦然とした輝きが見えた。




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