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「え?」
「うん、だからね、晩餐会の招待状」
はい、と言って綾瀬が差しだすのは、真っ白な封筒だ。
目をぱちぱちと瞬く少年は、にこにこ笑顔の綾瀬をしばし見つめた後、恐る恐る手紙を受け取った。
昨夜の計画通り、今度こそ昼間の雪かきを完璧に手伝った千影が、部屋に戻るなり現われたのは猫耳の執事。
彼の耳や長い尻尾も、歌音のものと同じく本物なのかと実感する間もなく、本題に入られたのだが、今一つ理解には至らない。
封蝋を開け中のカードに目を通した千影は、最後の署名にぎょっと目を見開いた。
「あ、あの」
「うん?」
「これ、真昼からになっているんですけど」
「え?そうだよ」
「そうだよって……」
きょとん、と効果音がつきそうな表情に、質問をしたこちらが間違っている気になるが、千影の反応は正しいと思う。
何しろ最初の一件以降、千影との食事をずっと拒み続けているのは真昼なのだ。
共に食事をと望んでから、もう随分と時間が経っているのに、今日の今日まで姿を見せない男が、晩餐会の招待状を送って来る意味が分からない。
何だって突然。
心境の変化でもあったのか。
考えあぐねていると、綾瀬の笑顔に少しばかり苦いものが混じった。
「ごめんね。前にも言ったと思うけど、ほ……真昼ってば変なところで真面目だから、ずっと変化を受け入れられなかったみたいでさ」
「変化?」
「そう。でも、ようやく認めたみたい」
「認めた?」
「うん。だからね千影くん、ぜひとも晩餐会に来てほしいんだ」
「すいません、今の説明で俺が分かったことは、晩餐会に出席してくれということだけです」
疑問符をスルーしてくれたお陰で、真昼の心内はまったく分からないままだ。
最初から教えるつもりはなかったのかもしれない。
「そこさえ伝われば、何の問題もないよ」
「……そうですか」
「そうです。で、どうかな」
千影は手にするカードにもう一度目を落とした。
丁寧綴られた几帳面な字には、真昼の性格が現われている。
インクの濃さまで均一で、正式な書面を書き慣れているのが察せられた。
「出席します」
「本当?」
「はい、喜んで」
嬉しさを隠し切れず、頬が綻ぶ。
何しろ、共に食事をしたいと望み続けていたのは、千影の方なのだ。
頻繁に顔を合わせ、会話をするようになっても、真昼が食堂に現われることはなくて、やはり最初の拒否が尾を引いているのだと痛感した。
近づけたと思うのは錯覚に過ぎず、未だに彼のとの間には深い亀裂があるのではないか。
食堂で空席を見つけるたび、苦いものが胸中を満たした。
彼が考えを改めた理由は不明だが、受けないわけがない。
色よい返事に、執事長の表情も一層明るくなる。
「よかった。実はもうドレスを仕立ててしまったんだ」
「は?」
「髪型の希望はある?鬘で長さを足してもいいけど、あのドレスなら今のままでちょっとスタイリングするだけでも栄えると思うんだ」
「えっと、綾瀬さん?」
「ん?」
あれやこれやと、一人楽しそうに千影の衣装について語り出した綾瀬だが、発言内容が聊かおかしい。
聞き流すことも出来ず、緩んでいた表情筋もぎこちなく強張った。
「ドレスって、なんですか?」
「晩餐会やダンスパーティーなどの、公の場所で身につける礼服だよ?」
「女性用の、ですよね」
「一般的にはそうだね」
「……俺、男ですよ」
「あはは、知ってるよ」
朗らかな笑い声に、またしても自分が間違えた気分だ。
だが、これもまた千影は間違えていない。
千影のための礼服に、「ドレス」と言う単語が使われるなど、常識では考えられない。
むしろ使われてはならないだろう。
「おかしいでしょう、俺がドレスって」
「似合うものを着るのが、誘ってくれた相手に対する礼儀だと思わない?」
「女装なんていうふざけた格好は、むしろ非礼にあたるんじゃないですか」
「だよねー、普通なら僕もそう思う。でも、せっかくのパーティに花を添えてもいいんじゃないかな。大丈夫大丈夫、僕もドレス着ることあるし」
「は!?」
「ってわけで、これがキミのドレスです!さぁ、支度を始めよう」
白い大きな箱を持ったメイドたちの登場に、思わず後退りしてしまう。
仮面に隠されていない右半分の顔で、綾瀬がにこにこにこにこと恐ろしいくらいの満面の笑み。
醸し出されるある種の気迫に呑まれた少年は、抵抗も逃亡も不可能なのだと察するほかなかった。
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