それは雷鳴の唸る嵐の夜のこと。

緑濃い森の奥深く、聳える尖塔を戴いた白亜の城の扉は叩かれた。

目深に被ったフードで顔を隠したその男。

何用かと顔を出したのは、警護を担う逸見だった。

――嵐のせいで、道に迷ってしまいました。寒さと飢えで死んでしまいそうです。どうか一夜の宿をお願い出来ませんか。

見るからに怪しげな風貌の男を逸見は訝しく思ったものの、一応までに真昼へと話を持って行った。

普段ならば一刀両断で追い返す彼にしては珍しいことである。

悪天候の中に放りだすのを、不憫に思ったわけではない。

処分をしてしまうには、相手の態度が不自然過ぎたためだ。

報告を受けた真昼は、しばし考えを廻らせる。

明らかに怪しい自称旅人など、暗殺者の類でなければ何だと言うのか。

これまで幾度となく命を狙われて来た彼にとって、刺客が送られて来たところで今更だ。

しかしながら、正面から堂々とやって来て、なお且つ怪しさ全開な刺客がいるものだろうか。

そんな腕の悪い暗殺者を送り込んで来る敵は、当の昔に潰したはずで、心当たりなどない。

もしかしたら、何か違った目的があるのかもしれない。

自分の目で見極める必要があると判断した真昼が、迷い人の待つ扉へ逸見と共に下りると、風雨に曝されくたびれた姿の男が立っていた。

警戒されぬよう、対外用の紳士笑顔で問いかける。

――旅の方、なぜこの森にやって来たのです?帰る家が御有りでしたら、そこまで馬車で送らせましょう。

まずは軽い牽制。

この程度が捌けないなら、相手にする価値もない。

――い、いいえ。お縋りする立場でそこまでして頂くわけには参りません。ただ、一晩だけ泊めて下さればこの身は狼の餌にならずに済むのです。

明らかな動揺の仕方に、真昼も逸見も白い目になる。

何か思惑があっての不審者ぶりかと、警戒したこちらが馬鹿だった。

これでは刺客とも言えない、本当の不審者だ。

適当にいなして追い返すことに決めた。

――ですが、それではご家族も心配されるでしょう。近くの街まででしたらそう離れてもいない。どちらにお住まいですか?

――そ、それは……。いやいや!私は旅の者、帰る家はここよりずっと遠くの街。気にかける家族も持ちません。もし泊めて頂けるのでしたら……

追い詰めれば、自称旅人は慌てた様子でマントに手を入れる。

凶行に走るかと逸見が構えかけるも、相手が出したのは一輪の薔薇だった。

――どうぞこの薔薇の花を受け取って下さい。

花冠が大きく、濃い紅が実に見事な発色をしている。

差しだされた瞬間、空気が凍った。

寒い、寒過ぎる。

誰が好き好んで、自分よりも上背のある男から、深紅の薔薇を受け取ると言うのか。

付き合いきれない。

真昼は薔薇を受け取ることなく、もう一度ゆるりと紳士的に微笑んだ。

穏やかなその態度に、旅人がほっと肩から力を抜いたとき、口を開く。

――朝から空模様は怪しかった。何の対策もせず森に踏み入った愚か者の顔が、どんなものかと見に来たが、想像以上の不審感だな。命は取らずにいてやる、即刻この城を去れ、虫けらが。

冷然とした眼差しと口元に刻んだ形だけの微笑みに、相手は言葉を失う。

受け取られることのなかった薔薇を持つ手が、ぶるぶると震え出すのが不気味過ぎる。

不穏な空気を感じ取り、逸見が一歩前に出ると、自称旅人はフードの下から憎々しげにこちらを睨みつけた。

――不幸に見舞われた者に、憐れみどころか追い打ちをかけるとは、人の風上にもおけない。お前に人の心はあるというのか!

面倒臭い。

まさか刺客に、人としての在り方を説かれるとは思わなった。

後の対応は護衛に任せ、城内に戻ろうとしていた真昼は、投げつけられた非難に顔色を変えるどころか、嘲笑うように。

――不審者を泊めるはずがないだろう。足りない知恵を絞って、次はもっと上手くやるといい。それまで生きていればの話しだが。

一体どこの誰だ。

これほど質の悪い暗殺者を送り込んだのは。

あまりに不自然で、まったく一般人を装えていない。

嘆息をしたときだった。

頭から被っていたマントを脱ぎ棄てた不審者は、妖精の証である指輪をはめた手を掲げて見せたのだ。

この世界には、稀に魔力を有した人種がいる。

魔法使いとは特化した能力が異なる魔力所有者は妖精と呼ばれ、裏社会や特殊職で活躍することが多い。

侮っていた男の正体に、やはり刺客だったかと戦闘態勢に入った逸見を無視して、妖精は告げる。

――心貧しき傲慢な王子よ。人を見かけでしか判断できぬお前には、いっそ悲しみさえ抱こう。

――見かけと言うよりも、お前の挙動不審な態度に警戒したまでだ。

――そうかそうか、やはり私のやつれた風貌にばかり囚われていたのか。

一人頷かれても、真昼たちは納得できない。

さっきからこの妖精は、自分を蔑にしたことについて怒っている口ぶりだ。

誰かの依頼で殺害をしに来たのなら、さっさと任務の遂行に取り掛かるべきだろう。

まさか、本当にただの遭難者だったのか。

ならばなぜ、こちらのからの質問に、あれほど露骨な動揺をしたと言うのだ。

――慈悲も慈愛も持たぬお前の内面は、人間と言うよりも「獣」と称するが相応しい。心に見合った姿となり、己のあり様を深く悔いるがいい。

頭を悩ませている内に、妖精は手にした薔薇を一振りする。

途端、白亜の城は黒雲にも似た暗い輝きに包まれ、その闇は真昼や傍らの逸見にまで纏わりついたのだ。

咄嗟に逸見が防御呪文を唱えるも、魔術の腕は確かなのか妖精の魔法を跳ね返すには至らない。

瞬きの間に真昼たちの全身を覆い隠した闇が消えたとき、城は勿論、真昼たちの外見はすっかり変貌していた。

目元を覆う銀色の仮面、全身を這う鎖を模した痣、鋭利な爪に牙、頭から生えた二本の角。

城主まるで闇の帝王のような風貌になり、逸見を含めた使用人たちも、顔の一部を隠す仮面と動物の身体的特徴を備えていた。

禍々しい外観になってしまった城内から、いくつもの悲鳴が上がる。

突如変貌した容姿に、使用人たちが騒いでいるのだ。

妖精のかけた呪いは、命を奪うこともなければ傷を負うようなものでもなかったけれど、あまりに惨いものだった。

自らもまた愕然としている真昼に、妖精は薔薇を押しつけながら言った。

――王子よ、この薔薇の花びらが、完全に散り落ちてしまうまでに、お前が心から誰かを愛し、そうして愛されなければ、お前たちが本来の姿を取り戻すことは、永久にないだろう。

そう、言ったのだ。




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