◇
「真昼ー!!キミ、手ぇ空いてるなら降りてきなよ!」
「綾瀬さんっ?!」
雇用主を呼び付けるなどという暴挙に、ぎょっと傍らを見る。
執事長という役職は、主人と対等な口を利けるほどの力があるのだろうか。
いくら上流階級に疎くても、それはないと断言できる。
魔王に怒られてしまうのではなかろうか、と心配しつつ再び上方を仰いだ千影は、すでにシルエットのなくなったバルコニーに「うわっ……」と漏らした。
だが、綾瀬という執事のこれまでの態度を振り返ると、他の二名とは違い真昼本人がいようといまいと、同じような調子であったような気がする。
平時から主人に対して気安いのかもしれない。
「あ、本当に来た。思ったより早かったね」
「え、来たって……」
「大声で呼び付けておいて、よく言うな」
背後から届いた声に、振り返るまでもなく彼の登場を知る。
驚いて見れば、やはり黒い外套を肩にかけた真昼の姿。
「で、何の用だ。綾瀬」
「うん?暇なら雪かきお願いしようと思って」
あり得ない。
当然のような顔で雑用を依頼する綾瀬に、ポカンッと間抜け面になってしまう。
対等な言葉遣いは大目にみても、流石にこれは赦されないのでは。
「断る。なぜ俺がやらねばならない」
「手が空いてるんでしょう?少しくらい動かないと、メタボっちゃうよ」
「無用の心配だな。それに、粗方終わっているようだぞ」
その言葉に中庭を見回せば、すっかり雪は片づけられている。
こんもりとした真っ白い山がいくつも出来上がっていた。
話している間に終わってしまったようで、千影は慌てて使用人たちに解散を言いつけた逸見の方へと駆けて行った。
自分の持ち場に戻る面々は、すれ違い際に会釈や挨拶を寄越してくれるから、尚更申し訳ない。
「すいません、俺の方から参加を頼んだのに」
「気にするな。前半は、お前もしっかりとやっていた。前半の働きで十分だ。前半のな」
「……すいませんでした」
意図的に強調をしてくれた底意地の悪い男は、引きつった千影の面に軽く笑った。
口元が仮面で覆われていても、目や纏う空気から彼の感情を察せられるのは、距離が縮まっている証拠だ。
「城に戻るぞ。主たちを待たせている」
「あ、はい」
逸見に促され、城内に続く扉の前でこちらを待っている真昼たちの元へ向かう。
寒いのだから、先に中へ入ってくれて構わないのに。
何事か話している二人は、遠目から見ても遠慮ない雰囲気をしていた。
「あの、綾瀬さんって実はいいとこの御子息、とかなんですか?」
「さぁな、そういう話しは聞いたことがない。なぜそう思った」
「真昼への接し方がすごく気さくだったので、身分の高い方なのかと」
「あぁ、あの二人は主従である前に幼馴染だからな。それに主は相手が俺たちでも、時と場所で使い分ければ何も言わない」
意外なほどに寛容な真昼を示唆されて、執事たちの態度の理由に「なるほど」と頷いた。
真昼自身が許可しているからこそ、幼馴染の綾瀬だけでなく他の執事たちも砕けた調子で会話をすることが出来るのだ。
城主と使用人たちの関係性に納得したところで、彼らの元へ到達した。
「お待たせしました」
「逸見くん、お疲れ様。千影くんも寒かったでしょう、城に入ろう」
微笑みと共に与えられた労わりに従って城内に戻ると、外の寒気がピタリと遮断されて、それだけで寒さが和らいだ。
案内されたのは談話室で、歌音がお茶の準備を整えて待っていた。
「お帰りなさい。二人とも雪かきお疲れさま」
「いえ、俺はあまり手伝えなくて」
渡されたティーカップの内側では、淹れたての芳香が湯気と共に虚空に立ち昇っている。
こちらの帰還を知っていたかのような歌音の仕事ぶりに、流石に一流執事は違うと感心していると、兎耳の下で彼は楽しそうに微笑んだ。
「さっき真昼くんに頼まれたんだ。使用人控室のみんなの分も」
「真昼が……?」
ソファで足を組む男に目を向ける。
「……なんだ。文句があるなら早く言え」
「誰もそんなこと言ってないじゃないですか。無駄に喧嘩腰なの止めて下さいよ」
「俺は意見があるなら聞くと言ったんだ」
「文句に限定したでしょう」
「……」
「……」
「千影くん、気にしなくていいよ。照れてるだけだから」
事もなげに言ってのけた綾瀬だが、発言内容は危険極まりない。
真昼の醸し出す空気が、今にも魔王のそれに変貌しそうで、頬が引きつる。
「綾瀬、仕事に戻れ」
「えー、少しくらいゆっくりさせてくれてもいいじゃない」
「戻れ、今すぐ」
簡潔かつ力の籠った命令には、これ以上余計なことを言われては敵わない、という真昼の心内が如実に現われている。
幼馴染とは言え、執事一人に翻弄されている城主に同情しそうだ。
「綾瀬くん」
「仕方ないか。それじゃ、僕らはご主人様の命令に従うことにしよう」
苦笑する歌音に応じて、綾瀬は他の執事二人と共に一礼をすると部屋を出て行った。
一気に閑散としてしまった室内に、この状況で取り残されるのも少々困りものだ。
どうしたものかとカップを手に立ち尽くしていたら、ソファから深い溜息が聞こえた。
「いつまで立っているつもりだ。座れ」
投げやりに椅子を勧める男に、千影は思わず笑みを浮かべた。
真昼と共に談話室で過ごす日が増えたことで、今では千影の分のソファも暖炉の前に用意されていた。
「……真昼って、分かり難いですよね」
「何がだ」
「いや、分かりやすいって言えば分かりやすいんですけど、最初はちょっと読みにくいっていうか」
「だから、何がだと聞いている」
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