魔法をかけて。
城にいる時間は、刻一刻と積み重なって行く。
どう逃げるかばかり考えて、一度は外へと飛び出したのに、今ではすっかりここでの生活に慣れてしまっていた。
揃いも揃って仮面を着けた使用人たち、加えて何かしらの動物の身体的特徴を備えた筆頭執事たち。
異様な風体をした彼らを、近頃では不思議に思うことさえなくなった。
何より大きな変化は、魔王と称するが相応しいあの男と、交流を持とうとしたことである。
その日の午後、談話室の暖炉の前にあるソファに座り、本を手繰る真昼へと声をかけた。
「立派なお城ですよね」
「そうでもないだろう」
「ブルジョワ発言は止めて下さい。庶民から見れば十分立派なんです」
彼のソファの側面を背凭れにして、絨毯の上に直接座り込む。
気配がピクリと反応はしたものの、咎められぬことに内心だけでホッと息を吐いた。
狼騒動の翌日から、千影は少しずつ真昼との距離を縮めようとしていた。
ほとんど城内で見かけなかった真昼が、仕事が落ち着いたのか、はたまた療養のための休暇期間なのか、談話室に現われるようになったのもあり、姿を探してはぎこちないながらも言葉を交わす。
彼に取り入って釈放をしてもらおうと考えているのではなく、ただ純粋に真昼を知りたいと思っての行動だった。
「真昼さんって、何の仕事しているんですか」
「さん付けはやめろ。気味が悪い」
「……なんですか、それ」
「敬っていないだろう、お前」
「敬ってもらえると思ってるんですか」
「……」
「……で、何の仕事しているんですか」
いけない、いけない。
喧嘩をしに来たわけではなかった。
先ほどの質問を繰り返し、話の軌道修正を図る。
「まぁ、それなりのことだ」
「それなりで、こんなお城が建つんですね」
「ここは相続したに過ぎない。建てたのは先代だ」
おどろおどろしい外観は、真昼の趣味ではないらしい。
魔王さながらの男をこっそりと窺ったら、冷ややかな瞳に待ち伏せされて、曖昧に微笑んだ。
「そういうお前は、何をしているんだ」
「それなりのことですよ」
「……」
「……探偵事務所の助手です」
無言の批難にあっさりと白旗を振る。
抵抗を続けられるほど、命知らずではない。
「探偵?」
「素行調査とか、失せ物探しとか、通報できない理由のある事件とか。うちは結構幅広くやっていると思います」
「助手と言ったが、具体的には何をやるんだ」
「なんでも、です。事務作業もやりますし、現場に同行したりもします。今回も、依頼人に話しを聞きに行こうとして、森で迷っちゃって……」
その後、幽閉された。
自分の失言に、しまったと思う。
意外にもスムーズな会話が出来たことで、浮かれていた。
これでは囚われの身であることを、当てこすっているみたいだ。
勿論、帰りたくないわけではないけれど、皮肉るつもりなど毛頭なかった。
次の句が見つからず唇が閉じる。
「……それで?」
「え、なに」
「どこの街に行くつもりだったんだ。近場ならシスト辺りか」
「そうです。夜中に幽霊が出るって言うので、取りあえず調査の前に事情を詳しく聞こうと思って」
「幽霊事件までやっているのか?少し選んだ方がいいだろう、嘘臭い」
場に流れた気まずさを摘み取るようだ。
真昼から与えられた会話の糸口に、千影は頬を緩めずにはいられなかった。
「意外と怪事件って多いんですよ。まぁ、ほとんど原因は別にあるんですけどね」
やはり彼は、優しい。
スコップですくった雪を、邪魔にならぬ場所にすでに出来上がっている雪山に被せる。
久々の屋外労働に、気分はすこぶる良かった。
「何してるの、千影くん」
「あ、綾瀬さん。何って、雪かきです」
「うん、見たら分かる」
「……ですよね」
にっこり笑顔で返され、まぁそうだろうと同意する。
防寒対策をしっかりと整えた格好で、雪を退けていたら分からない方が稀だ。
他の使用人たちに混ぜてもらったと話せば、相手は「お客様なのに」と笑った。
千影の立場は「お客様」などという、招かれた人間に与えられる肩書ではなく「囚人」なのだが、口には出さなかった。
言えば彼を困らせてしまうのは明らかだし、千影も自分が「囚人」として扱われてはいないと認識をしているのだから。
「手伝いを志願したのは誰だ」
「あ、すいません」
声に振り向けば、雪かきの指揮を執る逸見がスコップを片手に立っていた。
先日目にした驚異的な弓の腕が気になって訊ねたところ、警備総責任者を担っていると教えられた。
司令官として有能なだけでなく、彼自身も様々な武術に精通していると言うのは、歌音から聞いた話だ。
「真昼に怒られちゃうかもよ、逸見くん」
「え?」
「大事なゲストに雑用させてたらさ」
タダ飯食い状態なのだから、迷惑にならない程度に仕事を与えてもらった方が気も楽と、参加を頼んだのはこちらだ。
綾瀬の意味ありげな目配せの意味も分からず、千影は執事たちが城主に叱責されるのではないかと心配になる。
「それはないでしょう。さっきから何も言って来ませんから」
「え?」
「ん?」
笑みが窺える逸見の目線を二人で追うと、二階のバルコニーからこちらを見下ろす男の姿があった。
距離があるせいで表情までは分からないが、何となく彼が舌打ちをした気がした。
一度はそっぽを向いた顔が、こちらを完全に向いた理由は、逸見を睨みつけているからだろう。
犬の彼は素知らぬ顔で作業に戻ってしまったけれど。
「あんなところで、ずっと見てたのかな」
「そう、みたいですね」
「へー。ほ、じゃなくて……真昼ってやらしいなぁ」
「ぶっ!」
やらしいって。
あんまりな発言に思わず噴き出してしまった。
彼がどういう理由で除雪作業の風景を傍観していたのかは分からないが、確かに何も言わずずっと眺めていたのならば、その感想もあながち間違いではない。
若しくは、暇を持て余しているのか。
多忙な様子の男に限って、それはないだろうと自分の意見を打ち消していると、執事長が口を開いた。
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