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「やっぱり、怒ってるんですかね」
「今は仕事が立て込んでいるからじゃないかな」
真昼の本心の片鱗に触れた夕食は、数日前のこと。
公言通り、あれから千影は決まった時間に食堂のテーブルについている。
けれど、食卓の主の席が埋まったことは一度としてない。
今日もまた対面に空席を見つけた千影は、思わず呟いてしまった。
昼食の給仕をしていた歌音のフォローに、曖昧に頷くものの、心中では自分が彼に投げつけた暴言がリピート再生を続けている。
最初に仕掛けて来たのは真昼だが、自分の報復もなかなかのものだったと認めないわけにはいかない。
魔王の心内を聞いてしまっては、尚更だ。
食後の紅茶を啜りながら沈んでいると、食堂の扉がガチャリと音を立てた。
弾かれたように背もたれから首を突き出したものの、入って来たのは逸見で肩透かしだ。
あからさまに落胆するのも失礼で、軽く会釈をすると、こちらの思いなど看破したかのように彼は目を細めた。
鼻から下を仮面が覆っているせいで、よく分からないが、恐らく口端を持ち上げているのだろう。
「主でなくてすまなかった」
「思ってもないこと言わないで下さい」
犬の尻尾を揺らしながら近づいて来た男は、悪びれもなく言ってのける。
善人であるとは疑っていないけれど、性格の悪さでは真昼を越えているかもしれない。
最近気がついたことだ。
「気にするだけ無駄だ。少なくとも、今夜まで主は現われないと思った方がいい」
「そうですか……。あの、言い過ぎましたよね、俺」
「何をどう言ったのかは知らないが、お前は理不尽な仕打ちを受けているんだ。気に病む必要もなければ、主が腹を立てる権利もない」
「確かに逸見さんの言う通りなんですけど、暇な時間が多過ぎて色々考えちゃうんですよ」
これまで脱出方法を考えるのに使っていた時間は、今やどうすれば真昼と会えるかを考える時間に変わった。
いい加減に仁志は千影の行方不明に気付いているだろうし、木崎の帰還も懸念事項だが、それらすべてを押し退けて銀色の仮面が頭の中を占拠する。
思い悩むには十分な時間的ゆとりが手伝って、どちらかと言えばマイナス思考の千影は、どんどんと暗い方向に想像を廻らせては打ち消すという作業を繰り返していた。
苦い笑いが漏れる。
「暇か。なら、城を案内しよう。少しは気も紛れるだろう」
「案内、ですか?」
「うん、いいと思う。行っておいでよ、千影くん」
歌音の後押しに、気持ちが揺れる。
これだけ広い城だ。
見て回るだけでも時間はかかるだろうし、絶好の暇つぶしだ。
造りが把握出来れば、中断している脱出計画も立てやすいという打算もある。
「でも、逸見さんも仕事があるんじゃないですか」
「確かに時間を持て余すほど余裕のある誰かとは違うが、問題はない」
「……またそういう言い方して」
嫌味に片頬を引きつらせるも、反論は出来ない。
申し訳なさそうな顔の歌音に首を振って、千影は逸見と共に食堂を後にした。
城の内部は思った通り広大だった。
深紅の絨毯が敷かれた薄暗い廊下を歩けば、どこまでも続く錯覚に陥る。
一階から順に案内をしてくれる逸見について、いくつもある応接間やダンスホールを回り、綿帽子を被った中庭にも出た。
厩舎には千影の馬も繋がれていた。
一か所ごとに事細かな解説までしてくれるので、気分はすっかり観光客だ。
二階にはいつも使用している食堂や千影の部屋の他に、膨大な蔵書数を誇るライブラリーや美術品を展示したギャラリーなどもあった。
「本当にこの城って大きいんですね」
「何をいまさら」
しみじみと感心すると、もっともな返事が先導する男から寄越された。
次は談話室だと教えられていたけれど、それも一階ですでに二部屋見ている。
そんなに造ったところで、果たして活用されているのか甚だ疑問だ。
豪華であることは認めるが、外観に抱いた感想と同じくして、城の内部もまた物々しさが漂っている。
極端に少ない灯りが不気味な気配を色濃くさせており、廊下に並んだ甲冑が突然動き出したとして何らおかしくない。
数あるサロンを埋め尽くすほどの客人が、この魔王城にやって来るとは到底思えなかった。
「そう言えば、真昼って何の仕事をしているんですか?」
「さぁな」
「は?」
「主本人が言わないのだから、俺が教えられるはずがないだろう」
ふと浮かんだだけの疑問は、逸見の素っ気ない回答によって一気に興味を駆り立てるものへと変貌した。
意味深長なことを言われては、気になってしまう。
「こんなに立派な城の所有者だし、中央で活躍する大商人とか?」
「不正解、とだけ言っておく」
「……余計に知りたくなるんですけど」
「俺はただの使用人に過ぎないからな。基本的には主の意向に背けない」
従の身にあると言う割には、彼が真昼を語る様は主人へのそれではないだろうに。
平然とした男の態度に、つい溜息が洩れた。
「あ、逸見くん!」
背後からの呼び掛けに、逸見の頭部にある犬耳がピクリッと動いたように見えて、千影は思わず目を瞬いた。
コスプレで着けているだけの飾りが、「揺れる」ならまだしも「動く」わけがない。
疲れているのかと目を擦っている内に、綾瀬が背中までの長い髪を靡かせて、こちらへと小走りでやって来た。
「こんにちは、千影くん」
「どうも」
「城内探検ツアーの邪魔しちゃって悪いんだけど、ちょっと逸見くん借りてもいいかな」
「どうしました、執事長」
綾瀬が執事長だったとは。
意外だ。
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