「今、時間あるかな?よければ来て欲しいところがあるんだけれど」
「今ですか?いいですよ」

三人の執事たちは、あの魔王に仕えているとは思えぬほど皆それぞれ親切で、この城に来てから今日までの内に、彼らへの警戒心は完璧に払拭されている。

中でも、歌音への信頼は強い。

突然、城へ幽閉された千影の負担を少しでも軽減しようと、細やかな気配りで身の周りの世話を焼いてくれているのだ。

随分と小柄で幼い容姿しているけれど、その内面がとても思慮深く成熟しているのが察せられて、千影は歌音に好感を持っていた。

その彼の誘いとあれば、空腹で疲弊していようと応じぬわけにはいかない。

よかった、と微笑みを見せた彼に案内され、千影は久しぶりに自室を出た。

赤絨毯の上を進み、広過ぎるほどに広い回廊を抜け辿りついた場所。

背後で閉まる扉の音を聞きながら、千影は信じられない思いで歌音を見た。

「どういう、ことですか」
「どうぞ、座って」

返答は与えられなかったが、答えをもらわぬわけには納得できそうになかった。

千影の眼前にあるのは、長い食卓。

両端にある椅子の内、一方の背後には漆黒のタペストリーが掲げられているから、そこが主の席であるのが分かる。

まさか、騙したというのか。

中々晩餐に応じない千影に焦れて、強引にことを進めようとしたというのか。

「あの、歌音さ――」
「安心しろ、主は来ない。早く座れ」
「逸見さん……?」

下座の椅子を引いて待っている逸見は、口元を隠す瑠璃色の仮面の下で笑ったようだった。

眼鏡の内側にある瞳が僅かに細くなる。

「腹が減っているんだろう。余計なことは気にしなくていいから、座れ」
「……」

エネルギー不足で上手く働かない頭では、これがどういうことなのか、さっぱり理解できない。

困惑に満たされたまま、取りあえず椅子に腰かけると、奥の扉から綾瀬が登場した。

まるでイタズラが成功したかのように、楽しげな表情だ。

彼は無駄に長いテーブルの半ば辺りで立ち止まると、千影に向かって優雅な一礼をしてみせる。

「ようこそ、お客様。今宵はわたくし共の我がままにお付き合い下さり、有難うございます。ですが、決して後悔も退屈もさせないと、お約束いたしましょう」

綾瀬が指先で合図を送ると、広い食堂の暗がりにパッと灯りがともり、正装をした楽団が姿を現した。

その誰もが、やはり仮面をつけている。

目をまん丸にしている内に、極上の調べが響きだした。

ここまで案内をしてから、どこかへ消えていた歌音が、テーブルセットの整った千影の前に皿を置くのに合わせて、綾瀬がメニューを述べる。

「まずはオードブル。フォアグラのソテーと蕪のコンフィ添え、フランボワーズソースっていうのはどうかな?」
「……あの」

視覚を楽しませる華やかな盛り付けは美しいが、その慎ましやかな量とタイトルの長さに曖昧な返答しか出来ない。

ここまでくれば、いくら思考能力の落ちた千影でも彼らの意図は把握できる。

空腹に苛まれる少年を気遣って、食事を提供してくれるつもりなのだ。

その厚意は心底有難いし嬉しいのだけれど、がらんとした胃袋に慣れない料理では素直に喜べない。

それでもせっかくの心遣いではあるし、少しでも空腹を癒すためにと、フォークとナイフを手に取った。

「でも、コース料理なんかじゃ、お腹いっぱい食べた気分にはならないよね」
「え?」

最初の一口の味もろくに理解できていなかった千影は、綾瀬の思わせぶりな発言に目を上げた。

笑みを深めた左半分の顔で、ウィンクが寄越される。

寒い仕草を違和感なくやってのける彼をポカンッと眺めていたら、奥の扉から次々と給仕のメイドたちが現われた。

温かい湯気の昇る皿が、順番も何も関係なく千影の前のテーブルを埋めて行く。

温野菜のサラダにトマトの匂いが豊かなリゾット、見るからに柔らかな牛フィレ肉のステーキや具だくさんのポトフ、香草が芳しい海老のグリルなど、到底食べきれるとは思えない料理の数々に圧倒される。

眼前に並んだ身近なメニューに、繊細な作品の始まりを示す一皿が太刀打ち出来るはずもない。

近くに置いてあるポトフの温もりに鼻先を撫でられ、冷え切った身体に血が通った。

「あ……」
「僕も、こういう食事の方が好きなんだ。冷めないうちに召し上がれ」

邪気のない笑みに促され、そっとスプーンに持ち替えた。

約一日半ぶりのきちんとした食事が、舌の上に広がり喉元を過ぎて食道を流れて行く。

ほっこりと胸の深い場所が満たされる心地に、千影は執事たちを見まわした。

「おいしいです」
「よかった」

こくりと頷く歌音は、包み込むような眼差しでこちらを見つめている。

あの傲慢極まりない主の配下にありながら、彼らの何と優しいことだろう。

未だに犬耳の逸見は底が読めないが、悪人でないことは分かった。

どうして彼らが、真昼という名の魔王に仕えているのか疑問に思いつつ、おいしい料理を次々と平らげていた千影は、ようやく一つのことに思い至った。

「あの、平気なんですか?」
「ん?なにが」
「主は来ないと言っただろう。お前はただ腹を満たせば……」
「いえ、真昼のことじゃなくって。その、皆さんが」

綾瀬の疑問符を受けた逸見に首を振ったものの、元凶が自分であるために、歯切れが悪くなる。

それでも訊ねずにはいられなかった。

「あの人の命令に背いて……真昼のいないところで俺に食事をさせて、皆さんは大丈夫なんですか?何か、罰みたいなことはないんでしょうか」




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