その日の空は、重苦しい灰色に塗られていた。

陰鬱な様相を呈した曇天を、窓辺に立った少年は、何と己の心境と似通った天気だろうと、皮肉な思いで見上げていた。

ふぅ、とここ数日ですっかり癖になってしまった嘆息を零せば、呼気に撫でられた窓硝子が白くなる。

ゆっくと元に戻って行く光景に、自分の気持ちも晴れてはくれないかと思わずにはいられない。

魔王の城に幽閉されて、すでに三日が経っていた。

街を出る前は、二日もあれば余裕で事務所に戻れると考えていたと言うのに、とんだ誤算もあったものだ。

二日どころか、この先ずっと帰れない可能性もあるなんて、笑い話にもならない。

狼の群れに襲われたあの日以降、雪が降る日はあっても吹雪は発生していない。

今日などは曇りなのだから、帰路に着くならばいい機会である。

それなのに、千影はこの城の外へと出ることは出来ないでいた。

「真昼」と名乗った城主は、本当に少年を解放する気はないようで、三人の執事たちに命じて千影の動向を監視させている。

親切にしてくれた彼らだったが、主には逆らえないようで、千影が与えられた私室を出ると何処からともなく姿を見せては、やんわりと逃走を妨害して来る。

真っ向勝負は早々に諦めた。

城での暮らしは実に快適で、事務所よりもずっと豪奢な城で過ごす時間は夢のようだ。

これが一時のバカンスならば、十分に楽しむことが出来ただろう。

無人の事務所や友人の存在を思うと、今すぐにこの監獄を飛び出したい。

隣町に行ったはずの千影が未だに帰っていないと知れば、仁志は確実に心配をする。

街の中でも中心的な存在の彼だから、周囲を巻き込んで捜索をするかもしれない。

調査に出ている木崎の帰還も気にかかる。

調査終了までどれくらいかかるか、検討もつかないのが痛い。

驚くほど長期になるかもしれないが、今日にも事務所に帰りついていたとして不思議ではないのだ。

彼らに心配をかけることだけは絶対にしたくなくて、千影はここ数日の間、脱出方法を考え続けていた。

だが、いくら頭を捻ろうとも実行に値する名案は浮かばなかった。

昼夜問わず部屋を一歩出るや、必ず三人の執事のうちの誰かと遭遇する現状では、エントランスホールに到達することさえままならないのだから、脱出など夢のまた夢。

千影の部屋は二階のはずだが、窓から見下ろした地上は随分と下に見えて、飛び下りればどうなるかなど言わずもがな。

何より、城外へ逃れられたとして、狼に追われるがままここへ到達した千影には、今いる場所が地図のどの辺りかさえ分からないのだ。

方角を頼りに進めばどうにかなるやもしれないけれど、狼の餌にならない保障はなかった。

「あー……最悪」

ふかふかのベッドに背中から倒れ込むと、ほどよいスプリングが背中に反動を返す。

目蓋を閉ざせば、数日を経ても一向に褪せることのない存在感が広がる。

人外を示す二本の短い角、牙さながらの凶悪な糸切り歯、触れるすべてを傷つける尖った爪先。

闇を凝縮した艶めく髪、すっきりとした輪郭の上方を覆う銀色の仮面、皮膚を這った鎖の痣。

畏怖さえ抱く、真っ直ぐな漆黒の双眸。

傲慢な魔王、真昼の姿は、刑を言い渡されたとき以来、一度も目にしていない。

逃亡策を練るために、ずっと部屋に籠っていたのだから当然だ。

それにも関わらず、刻が積もるほどに記憶の中の男は印象を深めて行く。

心に爪を立てるが如く、じくりじくりと強くなる。

千影はあれほど横暴な存在に出会ったことがない。

あれほど残虐な存在など他に知らない。

唇だけでこしらえた微笑みは、まるで高貴な身分の紳士を思わせるが、そこから奏でられる音色は刃の冷たさと鋭さを含んでいる。

これほど意識してしまうのは、自分をこの城に閉じ込めた張本人だからだ。

気がつけば思考の中心に据えている己が嫌で、千影は漆黒以外の色を取り込もうと瞳を開けた。

耳朶を打ったのは、コンコンというノックだった。

『千影くん、入ってもいいかな?』
「どうぞ」

身を起こしながら応答をすると、扉を開けたのは猫耳の執事、綾瀬 滸だった。

身の回りの世話を担当しているのは、兎耳の歌音・アダムスなので、彼の訪問は珍しい。

「急にごめんね。ちょっと話したいことがあってさ」
「いえ、問題ありません。どうしたんですか?」

にこにこと楽しげな笑顔を浮かべた綾瀬は、相変わらず顔の右半分に瑠璃色の仮面をつけていた。

奇天烈な格好にさして違和感を持たなくなった己は、随分とこの城に馴染んでしまった気がする。

「あのね、部屋で食事を取るのもいいけど、今日は食堂まで来ないかな?真昼が晩餐に招待したいんだって」
「え?あの人が、ですか」
「うん。どうか――」
「お断りします」

相手の言葉を最後まで待つことなく、少年ははっきりと拒絶した。

晩餐に招待なんて、冗談ではない。

自分を幽閉した男と共に食卓を囲むなんて、あり得ない。

誰がのこのこと出向くと言うのか。

こちらの気持ちを一切無視した都合のいい要求に、千影は眦を釣り上げずにはいられなかった。

「どういうつもりかは知りませんが、あの人との晩餐に俺が出ることはあり得ません。絶対に嫌です」
「千影くん、でも真昼はね――」
「あの人の顔を見たくないんです」

湧き上がる怒りのまま吐き捨てた千影は、開いたままの扉を綾瀬の肩越しに捉え、息を呑んだ。

「……随分な態度だな、ゴミ虫」
「魔……真昼」




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