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黙っている方が不自然だろう。
僅かの逡巡の後、窺うように問いを音にした。
「あの、それは趣味ですか……?」
「え?」
「仮面とか耳とか」
燕尾服の二人は一瞬の間を置いて、互いに顔を見合わせた。
しまった。
やはり触れてはならぬ話題だったか。
「すいません。助けてもらった身で本当に失礼なんですけど、気になってしまって……」
明らかに異質な扮装なのだから、もっと気を使うべきだったと、己の配慮不足に胸中だけで舌打ちだ。
恥じるようにカップの水面へ落ちた視線は、すぐに二人へと戻ることになった。
「怒ったわけじゃないから、気にしないで。ちょっと事情があって、こんな格好しているだけなんだ」
「事情、ですか?」
「うん。僕らはこの城の使用人だから、燕尾服は制服みたいなものだけれど、他は少し色々あって」
オレンジ髪の下で困ったふうに眉尻を下げる男の返答は、実に曖昧で具体的な理由など含まれてはいない。
理解できたのは、彼らが望んで今の格好をしているわけではない、ということくらいだった。
気にしてはドツボにはまるだけだと分かっていたが、思考は彼らの奇妙な出で立ちの「事情」とやらを考えてしまう。
二人は使用人だと言ったから、もしや城主の趣味なのかもしれない。
主には逆らうことが出来ず、致し方なく動物の耳や尻尾まで付けているのでは。
「部外者を入れて大丈夫なのか?主にバレたら面倒そうだな」
下らなくも有力な仮説を打ちたてていると、また新たな人物の声が聞こえた。
背もたれから首を出すと、千影たちが入って来た扉とは別の一つから、こちらに歩を進める男がいる。
いつ部屋に入って来たのか、まったく気付けなかった。
眼鏡の下にある理知の輝きを灯した双眸が、ちらりとこちらを一瞥。
優しげな先の二人と異なり、硬質な空気を発する人物だ。
有り触れた黒髪に平凡な黒瞳ながら、鼻筋は通っていて中々の男前ではないかと推察できる。
確証が持てないのは、彼の貌にも張りついた仮面が、目元以外を隠す形状のせいだ。
顔のどちらか半分が分かるならば兎も角、顎先から鼻梁の中ほどまですっぽりと覆われていては、その造作を把握するには少々情報が足りない。
長身の体躯は燕尾服の上からでも鍛えられたものだと察せられるが、やはりと言うべきか、スボンの後ろからふさふさの尻尾が覗いている。
動きに合わせて左右に揺れるそれと、頭の上の耳の形状に、今はあまり口に出したくない動物の名前を紡いだ。
「狼、ですか?」
「……犬だ」
「……すいません」
当人の持つ雰囲気のせいなのだろうか。
どう頑張っても忠実な「犬」には見えなかったが、懸命にも口に出すことはしなかった。
「客人、この吹雪では帰路につくのもままならないだろうから、馬車を用意しよう。なるべく早く、この城を去る方がいい」
自称「犬」の扮装をした男の、意外にも親切な提案に驚きかけるも、千影は忠告めいた後半部分に引っ掛かりを覚えた。
ここにいては、何か悪いことにでも見舞われてしまうような口ぶりだ。
狼の彷徨う冬の嵐の中を、馬車で行く方が安全な場合など、そうそうないのではないだろうか。
どうにか辿りついたあたたかい城が、魔の巣窟であると教えられ、胸の奥が不気味な拍動を刻む。
「それは、どういう意味ですか?」
「言葉の通りだ。お前にとってこの城が、救いの宿になる可能性は低い。多少危険でも街に帰る方が懸命だ」
「逸見」
窘める呼び掛けは兎の執事のものである。
「俺は間違っているか、歌音。主に部外者を入れたことが発覚すれば、どうなるか分からないだろう」
「……機嫌、あまりよくなかったんだね」
「最悪だ」
皮肉びた調子の返答に、歌音と呼ばれた兎はひっそりと呼気を逃がした。
「そう言えば中央からの手紙が来ていた気がする。それで機嫌悪くなっちゃったんだね」
一人だけ平然としている猫の執事が謎解きをしたのと、凄まじい音を立てて部屋の扉が開け放たれたのは、ほぼ同時だった。
乱暴に扱われた鼓膜が、バタンッという音を呑み込め切れず未だに震えている錯覚。
侵入を果たした凍てつく大気が、隆盛を極めた暖炉の火を握り潰して沈黙させる。
満ち足りた世界の温もりは、急激な冷却に戸惑い張り詰めていた。
内側から取り戻したはずの熱までどこかに吹き飛び、千影は心臓を縮込める。
狼の群れに襲われたときなど比較にならぬほどに強烈な警鐘が、全機能を停止させた中で唯一悲鳴を上げていて、眩暈。
眼前に並んだ三人の執事たちは、誰もが深く頭を垂れて腰を折っている。
彼らの反応が、現われた者が誰であるかを物語っていた。
「今日は、来客の予定はなかったはずだが」
その凛とした低音は、すぐ傍で聞こえた。
脳内で明滅を繰り返す警告の赤。
いけないと分かっているのに、抗えぬ引力に導かれ、顔を持ち上げた。
出逢ったのは、漆黒。
目元を隠す銀色の仮面の奥から、夜よりも深く艶やかな色の虹彩が、少年の茶色の瞳を射抜く。
吸い込まれてしまう危機感を覚える余裕もないほど、強く惹き付けられて、息が止まりかけた。
華やかで厳粛な黒に、魅せられる。
「……どこのゴミ虫が迷い込んだ」
魔法が解けたのは、間もなくのことだ。
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