微かな物音を感じ取った途端、どっと耳奥になだれ込む騒音に、千影は一気に目を覚ました。

勢いよく身を起こすも、がつんっと何かに額をぶつけてしまう。

「いっ……!」

硬い衝撃に内心で動揺しつつ、どうにか涙の滲む眼で現実を見まわした。

眼前には鉄柵。

僅かの隙間を保って並ぶ金属棒に、ぎょっとする。

恐る恐る上を見れば、座った状態の頭ぎりぎりに鉄板と言う名の天井。

背後を振り返るが大した奥行きもなく、冷たい汗が背筋を伝うのを感じた。

これは、何だ。

思うけれど、答えは知っていた。

以前、一座にいた猛獣使いが見せてくれたではないか。

ショーに使う動物を、閉じ込めておく檻を。

「なんで、こんな……」

千影は狭い檻の中にいたのだ。

焦燥と不安から乾いた喉を潤そうと、出もしない唾を呑みこむ。

一体どうしてこうなったのかと、痛む後頭部を無視して思い出す。

途端、意識が途切れる直前までの出来ごとが、フラッシュバックした。

そうだ。

自分は哉琉に連れられて、テント小屋を後にしたのだ。

踊り子であった彼の不穏な様子に危険を感じ、逃げだそうとしたところで何者かに背後から殴られた。

考えなくとも、真昼専属の踊り子だったという哉琉の仕業だと分かる。

しかし、己の身に降りかかった不幸への軌跡は知れても、この現状が何であるのかさっぱりだ。

「服違うし」

少しばかり落ち着けば、着ていたはずの質素な服はいずこかに消え、赤紫の妙に派手な衣装に変わっていることにも気づく。

手の甲まである袖は随分とゆとりがあり、少し腕を上げればするりと肩まで下がって来る。

わざとらしい光沢のある生地は薄く、千影の白い肌が透けているではないか。

下肢を覆うのは黒いズボンでまだましだが、これもまたゆとりのあるデザインで、裾にかけてドレープを付けている。

大凡実用的ではない服。

日常生活はもちろん、こんな悪趣味なもの、舞台衣装にも出来ない。

首に巻かれた細い金鎖も、耳についている大ぶりのイヤリングも、まったく邪魔くさい。

自分の格好にげんなりとしてしまう。

千影は鉄柵の向こうで、慌ただしげに行き交う男たちを見やった。

誰もが何かに急いた様子で、薄暗く広いこの空間を動いている。

どこかの倉庫のようで、見える範囲には自分が入れられている檻と、同じものがいくつもあった。

乏しい灯りに慣れて来た目には、その一つ一つに自分と同じように閉じ込められている少年や少女の姿を確認できた。

皆、小奇麗でセンスの悪い派手な衣姿を纏っている。

ここまで来ると、現状の検討も付く。

最悪だと眉を顰めた千影は、自分の檻の前で立ち止まった人物に気がついた。

「目、覚めたの?」
「……哉琉さん」
「お似合いだね、その服!」

ふふっと楽しげに笑い声を洩らす少年の瞳には、隠しもしない侮蔑と憎悪が浮かんでいる。

お前が憎いのだと。

お前などいなくなればいいのだと。

彼の瞳は物語る。

千影は突きささる害意に怯むことなく、相手を真っ直ぐに見据えた。

「どういうつもりで、俺をこんなところに連れて来たんですか」
「それを知ってどうするって言うの。今更知ったところで何も変わらないでしょ」
「人身売買に関わっているなんて、真昼は知っているんですか?」
「っさい!」

突然、ガンッと鉄柵が蹴りつけられて、檻全体に強い衝撃が走った。

寸前までの余裕を消し、相手は剥き出しの激情でこちらを睨みつける。

どのワードが逆鱗に触れたかは、明白だ。

「お前がいるせいで、僕があの方に呼ばれないんだ!本当、何様のつもりなわけ?たかが旅芸人風情が生意気なんだよっ!」

またしても、檻が揺れる。

哉琉は狂ったように、何度も檻を蹴りつけた。

「名前で呼ぶなんて馴れ馴れしい、身の程知らずだねお前。無知で厚顔で身の程知らずだっ!」
「っ……」
「勘違いしてるんだよ、お前っ。あの方の気まぐれで構われているに過ぎないくせに、得意げに隣りに居座って!醜いよ、お前、醜くて仕方ないよっ」

ガンガンガンッ、響き渡る金属の軋む音に、忙しなく作業をしていた男たちが慌てている。

「何をしているんだ!」と誰かが怒鳴っても、彼の耳には届かない。

滾る憎悪のままに罵倒を繰り返す。

小さな体から溢れだす激情に、千影は急速に頭の奥が冷えて行くのが分かった。

彼は必死だ。

心の奥深いところから、憎んでいる。

疎ましく思っている。

この数日間、真昼の傍にいた、千影を。

自分から真昼を遠ざける、千影を。

「浅ましいんだよっ、なんでお前なんかがあの方の傍にいられるんだっ、なんでお前なんだっ、僕じゃなくっ、僕じゃなくっ……!!」
「何してるんですっ、霜月様!」
「うるさいっ、離して!」

背後から羽交い絞めにされてもなお、哉琉の目はこちらに向いている。

暴走した少年に、男が舌打ちをした。

「おい、誰か縄持ってこい、大事な商品キズものになっちまうっ」

駆けつけた仲間と共に、素早く縄で哉琉を縛り上げ、男は依然として暴れる体を連れて行かせた。

やれやれと頭を振り、大げさな溜息を吐き出す。

「お前、あの人に何したんだ?」
「……」
「ま、どうでもいいけどな。こっちとしては、今日の目玉商品が無事ならそれでいいさ」

興味を失った風に言いながらも、男は地面に膝をつき、千影と目線を合わせた。

「稀に見る上玉だ。いい額で落として貰えるよう、舞いの一つでも披露してくれや」
「俺の舞いは高いよ。誰も落札出来ないかもね」
「そしたら娼館に沈めるだけだ」

にやりと好色な笑みを残して、彼もまた準備へと戻って行った。

予想通りだ。

霜月にカマをかけて分かっていたことだが、今しがたの会話で確証を得てしまった。

これから自分たちは、人身売買のオークションにかけられるのである。

周囲の檻に閉じ込められた彼らも、どこかから攫われたか、売られて来たに違いない。

勿論、人権を無視した犯罪行為。

発覚すれば厳しい処罰が下されるのだから、地下組織が秘密裏に開催しているのだろう。

逸見などから話しだけは聞いたことがあったけれど、まさか自分がそこに出品される日が来るとは。

どうして哉琉の後をついて行ってしまったのかと、後悔しても後の祭り。

何としてでも逃げ出さなければ、身の保障はない。

焦る内心を抱え鉄柵を揺らして見るが、頑強な造りのせいでびくともしなかった。

鍵開けの技術など持ち合わせていないし、閉じ込められた今のままでは、逃走など不可能。

ふつふつと込み上がる不安に、今にも呑まれてしまいそうで、千影はぎゅっと目を瞑った。

落ち着け。

動揺は冷静な判断力を鈍らせる。

夜店を見に行くと言ってあるから、木崎たちからの救援は期待できない。

いずこかへ行ってしまった真昼たちも、もしかすれば霜月の策にはまっているかもしれないのだから、当てにしてはならない。

己一人で、この窮地を脱する必要がある。

千影は優秀な頭脳を高速回転させ始めた。




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