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「すいませーん、どなたかいらっしゃいませんか?」
控室側の出入り口から聞こえたそれに、誰も出て行く気配が感じられず、千影は寝台から立ち上がった。
「すいません、ちょっと行って来ますね」
「いや待て……」
何かに気づいた真昼の制止が届く前に、千影はさっさと部屋を出ると、訪問者の元へと向かった。
そこにいたのは、甘栗色の長髪を背に流した、たおやかな麗人だ。
身につけている空色の長衣のデザインと、己と同じ程度の身長から男性と判断できたが、一見しただけでは女性と見紛うほどである。
「はい、何かご用ですか」
「お忙しいところに申し訳ありません。こちらに全体的に黒っぽくて態度の大きい美形、来てませんか?」
相手は丁寧に非礼を詫びた後、具体的でありながら抽象的な人物像を述べた。
黒っぽいとはなんだ。
平時ならば首を傾げてしまうところだが、千影はそれに該当する人間をすぐに思い浮かべることが出来た。
黒髪に黒眼、態度は尊大だし美形であることは疑いようもない。
「もしかして、真昼の……」
「え?」
「え?」
目を丸くされて、千影もびっくりした。
何かおかしなことでも言っただろうか。
考えるや、背後から脳裏に描いていた男の低音が届いた。
「おい、なんでここが分かった」
「あ!やっぱり居たんだ。もう、勝手にいなくならないでよね」
「なんで分かったか聞いている」
顔をしかめる真昼に、麗人はにっこり笑顔を見せた。
「簡単なことでしょ。君がここ数日、足繁く通っていた一座の店で騒動があったって、そこの通りで聞いたから来てみただけ。頭はいいはずなのに、意外と行動パターン読みやすいよね」
「喧嘩売っているのか……」
「あはは、なんでそうなるんだよ」
二人のやり取りに、やはり訪ね人とは彼のことだったと思う。
「真昼、この人は」
「あぁ。俺の仕事の右腕みたいなもので……滸だ」
「えーと、うーんと……滸です!」
なぜ悩んだ。
邪気なく微笑まれるも、違和感を覚えずにはいられない。
「初めまして、千影です」
「キミが千影くんだったんだね。そっかそっか、だからか」
「え?」
「だから、おでこに包帯巻いてるんだなって。さっきは大変だったみたいだね。傷はどう?痛む?」
「ありがとうございます、もう平気です」
痛ましげに額を見られる。
思ったよりも、投石事件は広まっているらしい。
ことが起こってから、まだ一刻と経ってはいないのに、凄まじい伝播の仕方だ。
「こういうことって、前からあったりしたのかな」
「頻繁にはありません。せいぜい脅迫状が送られて来るだけで」
「もしかして、今回も送られて来たのか」
真昼の問いかけに、苦笑する。
「珍しいことではないんで、無視していたんですけどね。『七宵御伽』を中止しなければ、俺の身の安全は保障しないっていうありきたりなものですよ」
「……」
「じゃあ今回のことは、それがただの脅しじゃないっていう、警告ってことにならないっ?」
滸の言う通りだろう。
こちらに小さな実害を与えることで、脅迫文に信憑性を持たせる魂胆なのは明らかだ。
投石の犯人は脅迫状の差出人と同一犯とみて、まず間違いない。
だが、神妙な顔つきの二人に、踊り子は言った。
「幸い傷は化粧で隠せますし、中止しないで済みました」
「なに言ってるの!相手は本気で君を狙って来ているのかもしれないんだよっ」
滸の驚愕に首を振って返す。
「それでも、『七宵御伽』を中止するわけには行きません。あれは七夜続けてこそ意味があるんです。一夜だって欠けることは出来ません」
「シェヘラザード」の数多ある演目の中で、『七宵御伽』は別格だ。
一つのおとぎ話を七つに区切った物語形式の舞踏で、七日目の最終夜までストーリーはすべて続きとなっている。
一日でも中止すれば、物語全体の流れが途切れてしまう上、七夜連続しての舞台だからこそ観客を惹きつけておける。
この演目を崩すことは、仁志が無実の人間に手を上げるよりも、よっぽど大きな傷を看板につけることになるのだ。
「けどっ……」
「どうした、客か?」
やり取りが聞こえたのか、奥から木崎と逸見が姿を見せた。
どうやら仁志の介抱は、一通り済んだらしい。
初めて目にする麗人に、目を向ける。
「お騒がせして申し訳ありません。真昼の部下の、滸と申します。彼を探してこちらに窺ったのですが、事件のことを耳に挟みまして」
「なるほど、そうでしたか。ようこそ、「シェヘラザード」へ。座長の木崎です。後ろの者は逸見。私どものことで貴方を煩わせてしまいましたか」
きっちりと挨拶をする滸に、木崎もまた対外用の座長然とした態度で営業スマイルだ。
彼の色男っぷりを持ってすれば、男女問わず大抵の者が惑わされるのだが、相手はその色香など知らぬように、険しい顔のまま。
「脅迫状のことも、千影くんから聞きました。座長さんとしては、どうされるおつもりなんですか」
「どうする、とは?」
「今夜の『七宵御伽』です。投石まで行われた以上、相手は本気と考えてもいいはず。彼を舞台に立たせてまた何かおこるよりは、中止した方が……」
「千影は、貴方に何と返答しましたか?」
「……中止はしないと、そう言われました」
「なら、それが一座の意向です」
「そんな!」と、滸の優美な面に悲痛な色が溢れる。
心から千影の身を案じているのが伝わったのか、木崎は外面特有の硬質な空気を緩和させた。
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