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肩を落として吐き出す声は、恐ろしく重い。
彼に贈られたキスの感触が残っているような気すらして、衣織は手の甲でごしごしと唇を擦る。
幾ら幻だったからと言って、気分は最悪。
「そりゃ、名前知ってるわけだよな」
最後の一線を越える前に、男の名を口にしてくれて助かった。
疑問に思うことで覚醒できた。
自分、グッ(ド)ジョブ。
はぁっ……と息をついた衣織は、けれど何故か脳裏に蘇った言葉に、動きを止めた。
『明日になれば、全部忘れる』
凍りついた心臓から、冷たい血液がドクドクと流れ出た。
よくよく記憶を掘り返してみれば、確かにあの野営地には見覚えがある。
思い出すのも不愉快だが、コンテナの上で迫る恐怖に短刀を握った。
碧とのアレコレはともかくとして、その前にあったことは現実だ。
オマケに、夢で見た碧は自分が初めて顔を合わせたシンラの時よりも、幾らか若かったように思える。
夢と言うやつは、知らぬはずの他人の姿まで構築してしまうのだろうか。
「聖夜は、忘れていい……」
零れた台詞。
衣織は思わず浮かんだ不吉な考えを、慌ててかき消した。
忘れたのは、己の罪ではなく……。
「まさか……んなワケ……」
そう、まさか。
隣のベッドで、穏やかな寝息を立てる雪がゴロリと寝返りを打った。
END.
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