F
着崩された軍服の襟元に、頬がぶつかった。
「な、にを」
「……文句の一つも出てこねぇのか」
耳元で舌打ちが鳴る。
まるで、神楽の無抵抗に苛立っているようだ。
神楽こそ舌打ちをしたい。
拒絶し続けてきた男の腕から、抜け出せない自分を。
間近に感じる体温に、伝い届く拍動に、安堵すらしている自分を。
心の底から嫌悪していると言うのに、神楽の瞼はゆっくりと下がって行く。
己を包み込む存在にすべてを委ね、預けてしまう。
「休み方を知らねぇ馬鹿なんて、お前くらいだ。神楽」
咎めるように囁かれた名前が、鼓膜を揺らした。
睦言の響きが傷ついた精神を癒し、最後まで残っていた理性を溶かす。
神楽は本能に従って、そっと碧の胸に顔を埋めた。
後悔するだろう。
正気に返った己は、果てのない自己嫌悪に陥るだろう。
けれど今は、それでもよかった。
「貴方のせいです」
すべては碧がいけない。
取り繕った仮面に欺かれてくれなかった碧が、疲弊しきった神楽に気付いてしまった碧が、すべて悪いのだ。
腰を抱く腕に力がこもった。
背中を覆う腕がさらに神楽を引き寄せた。
「休み方を知らないなら、俺が教えてやる。自分で休めないなら、俺が休ませてやる。だから……俺に心配させるな」
風が吹く。
緑の短髪を撫で、宵色の一房をさらう。
紅の軍服が翻り、蒼い草原に揺れる。
赤煉瓦の街を通り抜け、白亜の城を包んだ。
感情を押し込めた小さな懇願は、涼風に乗ることなく、神楽の内だけにゆっくりと落ちて行った。
fin.
- 42 -
[*←] | [→#]
[back][bkm]