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賑やかな喧噪が溢れる廊下を、神楽は足早に進んでいた。
フルリムの眼鏡の奥に並ぶ宵色の双眸は、誰を映すことなく正面だけを見据えている。
繊細に整った儚げな美貌に色はなく、一滴の感情も窺えない。
完璧な無表情は神楽から生気を排し、見る者に異様な迫力と微かな畏怖を与えていた。
しかしながら、周囲の視線という視線を奪っている理由は、彼の作り物めいた美しさではなかった。
廊下を埋め尽くす誰もが、味気ないグレーの制服を纏っている中で、深紅の軍服姿は明らかに目立つ。
曇天色の詰襟服が、士官候補生の制服となれば尚更だ。
肩や袖に付いた階級章に気付いたすべての人間が、神楽の名前を即座に思い浮かべることが出来るだろう。
遠慮を知らない不躾な眼差しの中を、神楽は苛立ちを抑えながら歩き続けた。
イルビナ軍士官学校から、特別授業の講師に招かれたのは、つい先日のことである。
生命精霊学の分野において、最年少で博士号を取得した神楽に、ぜひとも講演をという話だった。
本来ならば、考える間でもなく断っていた依頼。
候補生を相手に授業をしている暇があるなら、引っ切り無しに舞い込んでくる仕事を、一件でも多く一秒でも迅速に処理すべきだ。
有能な少将に課せられる案件は、誰よりも多いのだから。
しかし、神楽は引き受けた。
火澄を頂点とした新体制を揺るぎないものにするために、また前元帥・蒼牙によって失墜した軍の信頼回復を狙って、不本意ながら授業を開講したのである。
少将の授業、という宣伝文句に惹かれて興味本位で参加した出席者。
生命精霊学の基礎も踏まえぬ程度の低い質問。
高圧的な態度で講義を聞き流す、階級意識が根付いた上流貴族の候補生。
そのすべてを予想していた神楽は、そのすべてを歯牙にもかけず講演を行い、さっさと仕事の待つ総本部へ帰還する予定だった。
彼らに遭うまでは。
「あぁ、こんなところにいたのか。翔庵、探したんだぞ」
「これは……。お久しぶりです」
角を曲がったところで声をかけられ、神楽は内心だけで舌を打つ。
ゆっくりと振り返り、対外用の柔らかな微笑を口元に載せた。
相手は神楽よりも少しばかり年上の講師だ。
大仰にローブを羽織り、手にはこれ見よがしな学術書を携えている。
「君の講義、聞かせてもらったよ。なかなかによかった」
「恐れ入ります」
言葉少なに返す神楽に、講師は安い笑顔の中で目だけを不気味に輝かせる。
怜悧な意思が見て取れて、神楽は次に来るセリフを思い浮かべた。
恐らくは――
「だがしかし、年齢のせいかな。まだまだ甘い。勉強不足は否めないね」
「研鑽が足りず、お恥ずかしい限りです」
殊勝な態度で畏縮して見せれば、調子づいた相手は一気に舌鋒を強めた。
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