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唖然とする間に軍服の合わせに手がかかり、力任せに左右へ開かれる。
内側に着ていたワイシャツまで巻き込まれたのか、金釦に混じって面白味のない白の釦まで弾け飛んだ。
そこでようやく、神楽は我に返った。
身の危険を感じ、声を荒げる。
「なにっ、何のつもりですか! 貴方、自分が何をやっているか分かっていますか!」
衝撃だった。
繊細な美貌を誇る神楽の容姿は中性的で、昔からこの手の輩には辟易させられていた。
碧もまた、神楽にその種の悪ふざけを仕掛けることがあり、頭が痛かったのは事実だ。
だが、あくまで悪ふざけ。
大抵は軽口の延長であったし、稀に手を出されたとしても戯れ程度で、神楽が拒絶すれば笑って退いていたのだ。
碧だけは、神楽が本気で嫌がることはしない。
だから、彼に対してこんな危機感を抱いたのは初めてだった。
「馬鹿な真似はやめて下さいっ、いきなりなぜ……!」
激しく身をよじりどうにか逃れようとするものの、碧は容易く神楽の抵抗を封じ込めてしまう。
腰にかかる負荷が増し、バタつかせていた足まで動かなくなる。
絶望的な思いで見上げた先には、やはり無感動な碧の貌。
彼は真意の読めぬ表情で、白雪のような肌が覗く胸元へ手を差し入れた。
大きく骨張った掌は冷たく、ざっと肌が粟立つ。
脳内で鳴り響く警鐘の強さに、眩暈を起こしそうだ。
混乱の極みに立たされた神楽は、もはや悲鳴を上げる余裕もなかった。
碧の指先が薄い胸を撫で、左へと移動して行く。
そうしてある一点を、トンッと叩いた。
「ここか?」
「え……」
意外なほど優しい声音に、神楽は目を瞬かせた。
レンズ越しに見る男の姿が、急に明瞭になる。
「忠誠やら服従やら……貴族ってのは悪趣味だな」
胸糞わりぃ。
そう言って、碧はもう一度そこを――心臓の真上の位置を叩いた。
神楽は息を呑んだ。
知っている。碧は知っているのだ。
過去、神楽と鳳来の間に何があったのか。
「どうして……」
呟くような疑問に、碧の無表情が解けた。
緩やかに持ち上がった口角は、普段見せる揶揄めいたものではなく、彼に不釣り合いなほど柔らかな微笑だった。
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