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鳳来の執務室があるフロアには、他に幾人かの部屋と施設がある。
決して人気の薄い場所ではないはずだが、このときに限って廊下は静けさに満ちていた。
居心地の悪い沈黙は、消耗しきった神楽の精神に追い打ちをかけた。
「何も、訊かないんですか」
「訊いて欲しいのか」
耐えきれずに口を開けば、落ち着いた低音が後方から届く。
「誰もそんなことは言っていません。ただ、疑問に思って当然のことでしょう」
「あぁ、お前がアバズレみてぇな真似してたことか?」
揶揄するような物言いに、張りつめていたものが音を立てて切れた。
冷え切っていた血が瞬間的に沸点を越え、釣り上げた眦で相手を睨めつけようと振り返る――ことは出来なかった。
腹に回った腕に背後へ引き寄せられ、ぎょっとする間に手近な部屋へ押し込まれる。
乱暴に閉まった扉の音を聞いたときには、薄暗い資料室の壁に身体を縫い止められていた。
「な、にを――」
突然の暴挙に動揺を隠すことは出来ず、神楽は間近に迫った部下を驚愕の面持ちで見上げた。
待っていたのは無感動な表情で、改めて彼の容姿の整っていることを知る。
猛禽類を思わせる鋭い翡翠の双眸が細くなり、形の良い薄い唇がゆっくりと開かれる。
「何を? そりゃこっちのセリフだろう」
「どういう、意味です」
「分からねぇのか。てめぇが何をしようとしていたかって聞いてるんだ」
淡々とした口調で詰問され、寸前までとは別の意味で動揺する。
こんなにも色のない碧は初めてだ。
感情の欠片すら窺えず、その心がまるで見えない。
神楽をからかっているわけでも、責めているわけでもない。
鳳来に向けた強烈な殺意さえも失われ、ただ平板な音色で問うているだけ。
意図が読めず困惑していると、肩を押さえつける力が強くなった。
「っ、離して……頂けますか」
「ならさっさと答えろ。俺が行かなきゃ、今頃てめぇは何をしてたかってよ」
「貴方には関係のないことです」
神楽は冷やかに切り捨てた。
彼がいつから部屋の外にいたかは知らないが、鳳来に身を添わせる姿は見ているのだ。
問い質さずとも、ある程度の察しはついているだろうに。
回答を促す男に苛立ちを覚えた。
「大体、私は先に会議室へ行くよう言ったはずです。なぜ鳳来大佐の執務室に来たんですか。そもそも、私がいるとどうして――っ!」
肩の痛みに押されて出た反撃は、徐に仕掛けられた足払いによって中断させられた。
身体のバランスは呆気なく崩れ、無様に床へ倒れ込む。
一体何の真似だ。
碧は即座に身を起こそうとした神楽の腰を跨ぎ、馬乗りになった。
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