■
「成り上がりは礼儀を知らないね」
背後から届いたセリフは、嘲弄の響きを有していた。
碧の元へ向かう足を止め、意を決して背後を見やる。
余裕の表情で腰を落ち着けたままの鳳来に、神楽は再び口角を持ち上げた。
「部下の非礼をお詫び致します。すぐに修繕の手配をしましょう。……彼のことをご存じで?」
「もちろん。俺のいない間に妙なのが付いたと思ってね。彼が副官じゃ、きみも気苦労が絶えないだろう」
鳳来は小さく嗤いながら、碧の全身を値踏みするように眺めた。
「おい、時間ねぇっつってんだろ」
だが、当の男は顔色一つ変えることなく神楽の腕を取った。
侮辱をされたと言うのに、鳳来に視線をくれることもせず、そのまま部屋を出て行こうとする。
同じ大佐の地位にあるとはいえ、相手は大貴族だ。
流名すら持たない傭兵上がりの彼では、自殺行為とも言える態度である。
鳳来は面白くて堪らないといった表情でこちらを見ていた。
「神楽、遊ぶのはまた今度だね。次は時間のあるときにおいで、一人でさ」
見送りのつもりか。
ひらひらと手を振られながらの言葉に、現実を突きつけられる。
碧の闖入でこの場は免れたものの、鳳来との取引は終わっていない。
横領事件を処理するために、神楽は再びこの部屋を訪ねるだろう。
凍りついた表情筋を無理やり弛緩させ、どうにか微笑みを浮かべて見せた。
「えぇ。約束を果たして頂けるのなら、かなら――」
残された最後の一文字は、口元を覆った大きな掌によって終ぞ音になることはなかった。
突然、顎を鷲掴まれて目を見開く。
大した力は込められていないが、声を出そうにも口を動かすことが叶わない。
一体なんのつもりだ。
傍らの犯人を見上げた神楽は、遭遇した横顔に息を呑んだ。
翡翠の双眸が映すのは、鳳来ただ一人。
寸前まで存在を認知しているかも怪しかったというに、眇められた怜悧な眼は射殺さんばかりだ。
全身から発せられる暴虐的な気迫は昏く、剥きだしの意思を悟らずにはいられない。
それは怒りでも憎しみでもなく、純然たる殺意。
薄い唇が残忍に歪められ、描かれた弧の隙間から牙さながらの犬歯が零れ出た。
「全員が死んだら、軍法会議も査問委員会も必要ねぇよな」
「え……?」
- 49 -
[*←] | [→#]
[back][bkm]